■S:今日の聖書の言葉
ヨハネによる福音書8章7節b
★あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。
■O:今日のコラム
現在マナメールの通読スケジュールでは、ホセア書とヨハネの福音書を並行して読み進めています。今日ヨハネ8章では、ホセア書を貫くテーマである「姦淫の女」の記事が登場しました。
「すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕えられたひとりの女を連れて来て、真中に置いてから、イエスに言った。『先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。』」(ヨハネ8:3~5)
イエス様のもとに女を引き出してきたのは、律法学者とパリサイ人でした。彼らは、イエス様を試し訴える口実を構えるためにそのようにしたとあります。
この「姦淫の女」の意味を霊的に考えるとき、それは主に背き、みことば・律法の本質から離れて偶像に向かったイスラエルの民を表すので、ホセア書で主はこのように言っておられます。
「主は私に仰せられた。『再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。ちょうど、ほかの神々に向かい、干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの人々を主が愛しておられるように。』」(ホセア3:1)
律法学者・パリサイ人には「自分たちは罪とは何のかかわりもない、姦淫の現場で捕らえられた女のようではない」と自負があったことでしょう。しかし、主の基準からすると、御心から遠く離れてしまった彼らの心は、この姦淫の女と何ら変わりありませんでした。
時に、私自身もこの律法学者・パリサイ人のように、自分を棚にあげて他の人を主のさばきのもとに連れていこうとしてしまうことがあります。以下の主の戒めを心に留めたいと思います。
「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」(マタイ7:1~2)
「兄弟たち。互いに悪口を言い合ってはいけません。自分の兄弟の悪口を言い、自分の兄弟をさばく者は、律法の悪口を言い、律法をさばいているのです。あなたが、もし律法をさばくなら、律法を守る者ではなくて、さばく者です。律法を定め、さばきを行なう方は、ただひとりであり、その方は救うことも滅ぼすこともできます。隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか。」(ヤコブ4:11~12)
今日、さばく者からあわれみを与え祝福をとりなし祈る者へとますます変えられたいと願う方は、ともに主の恵みの御座へ進み行き、大胆に求めましょう。
「あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。」(ヤコブ2:13)
■A:考えてみよう
人のふるまいや言動を見て、裁きの思いがやってくるときに、とりなし・祝福することを選択しよう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ぺい 】
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