■S:今日の聖書の言葉
ヨハネによる福音書6:51a
★わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。
■O:今日のコラム
ヨハネの6章は最初から終わりまで、「パン(御言葉)」について記されている章です。主は5つのパンと2匹の魚の奇跡を通して人々を実際的に養いましたが、その後は真のいのちのパンについて分かち合っておられます。
しるしを見てイエス様について行っていた人々は、イエス様にこのように質問します。
「そこで彼らはイエスに言った。『それでは、私たちが見てあなたを信じるために、しるしとして何をしてくださいますか。どのようなことをなさいますか。」(ヨハネ6:30)
人々はイエス様に対して、本当に父なる神から遣わされた者であるなら、証拠を見せなさいと言いました。
それに対するイエス様の3度の答えは、ご自身がいのちのパンであり、それを求めて食べる者が永遠に生きる者になるということでした。これを聞いた人々はもう聞いていられないと言って、イエス様から離れてしまいます。
「こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった。」(ヨハネ6:66)
私たち人間は、目に見えることや起こる出来事で物事を判断したり、自分たちが欲しいものあるいは期待しているものが与えられないと憤ってしまう者だと思います。少なくとも私の中にはそのような性質と弱さがあることを認めます。
また今日の御言葉を何度も朗読する中で、この箇所は「666」と人間を表し、獣につく者の数字になっていることに気づかされました。人の中には、自我や欲があるがゆえに、自分が願っていたり期待していることと反する神様の御言葉を聞くことができない性質があることを覚えます。
イエス様は私たちに命を与えるために父によって遣わされました。私たちはそれが欲しいと思ってイエス様に近づきますが、そこには自分に死ぬことや自分の思っていたものと違うことがあると思います。
しかしそれでもなお、主の愛ゆえに主に従うことを選び取るときに、霊でありまたいのちであるイエス様のことばを聞くことができて、それによって生かされることを信じます。イエス様の語られることばに聞き従う者、そのことばを食べる者こそが、飢えることなく渇くことなく生きる者です。
■A:考えてみよう
今日も共に聖書を朗読しましょう。また、この耳と心が主の御言葉を拒むことなく、イエス様の語られることばを聞くことができるように、またそれに従っていけるように願い祈りましょう。
そして聞いたことを今日という日に実行していこうではありませんか。主が言われることに聞き従うとき、私たちは主を知る者となっていき、その知るという喜びの中に生きていく者となることを信じます。
「私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。」(ホセア6:3a)
「わたしは誠実を喜ぶが、いけにえを喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。」(ホセア6:6)
■P:祈り
愛するイエス様、あなたの御名をほめたたえます。あなたが今日も私の大牧者であり、あなたの御言葉によって養われる者でありたいと願います。
主よ、今日も私の耳と心に割礼を施してくださって、その話されることばを聞かせてください。そして今日その御言葉に従わせてください。あなたの憐みのゆえに、あなたを知りたいという飢え渇きが与えられていることを感謝いたします。もっとあなたを知るというその喜びの中に導いてください。
愛する主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 たくみ 】
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