■S:今日の聖書の言葉
ダニエル書9章18節

★私の神よ。耳を傾けて聞いてください。目を開いて私たちの荒れすさんださまと、あなたの御名がつけられている町をご覧ください。私たちが御前に伏して願いをささげるのは、私たちの正しい行いによるのではなく、あなたの大いなるあわれみによるのです。

■O:今日のコラム
主のあわれみなくしては、私たちは誰一人主の御前に立つことが出来ない者です。今日の箇所にもあるように、私たちが主の御前にひれ伏し、祈り、礼拝を捧げることが出来るのは、私たちの正しい行いや熱心さではなく、ただ、主のあわれみによることを覚えます。

ダニエルは、今日の箇所で、自分の罪と自分の民イスラエルの罪を告白し、悔い改め、主の御前にとりなしの祈りを捧げています。(ダニエル9:20参照)

私たちも、まず自分の罪を告白し、悔い改めることが必要です。自分の罪を知れば知るほど、私たちは主のあわれみを必要とするからです。そして、自分自身が、主のあわれみが必要であることを知るなら、人々をあわれみ、とりなし祈ることが出来るようになります。

私自身もSHOPで仕える中で、人々のために、教会や町、国のためにとりなし祈る時間を持っていますが、自分の内側を見るなら、あわれみのない者だと思います。自分の祈りたいことや、愛する人のために祈ることは簡単です。しかし、祈りにくいことや、自分にとって難しい人のために祈る時には、主のあわれみが自分の内側に本当に必要です。

時に、自分の心のうちには葛藤がやってきますし、痛みがあります。でも、そのたびに、まず自分の罪を悔い改め、告白し、葛藤も痛みも主の前に手放し、自分も主のあわれみを受けた者、赦しを受けた者であることを心に覚えるようにしています。

最初から、人々のため、町のため、国家のためにとりなし祈ることは難しいかもしれません。しかし、日ごとに、悔い改め、主のあわれみを受けて祈り続けるなら、主のあわれみを与える者となり、主のあわれみをもって人々を抱いてとりなし祈る者になることを信じます。

「あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。」(マタイ5:7)

「あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。」(ルカ6:36)

■A:考えてみよう
・私は主のあわれみを受けた者であることを覚えているだろうか。主の赦しを受けた者であることを心に留めているだろうか。誰かのために祈る時に、主のあわれみを求めて、その人を自分の内側に抱いて、祈っているだろうか。

・城壁を築く祈り(とりなしの祈り)を継続していきましょう。自分の罪を告白し、悔い改め、血潮によって洗いきよめられることを通して、今日も王であり祭司としてとりなし祈ることが出来ることを感謝しましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ささまな 】

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一つのコメント


  1. 福島理花 より:

    昨日、ダニエル9章の中のダニエルの祈りを読んで13〜19節、特に17〜19が心に響きました。目の前にある荒れ果てた聖所のために祈る者として主が私を作り変えてくださって、あわれみのない者にあわれみの心をくださって感謝です。ハレルヤ!

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