■S:今日の聖書の言葉
ダニエル書8章17節

★彼は私の立っている所に来た。彼が来たとき、私は恐れて、ひれ伏した。すると彼は私に言った。「悟れ。人の子よ。その幻は、終わりの時のことである。」

同19節

★そして言った。「見よ。私は、終わりの憤りの時に起こることを、あなたに知らせる。それは、終わりの定めの時にかかわるからだ。

■O:今日のコラム
ダニエル書7章8章には、主の再臨と終わりの時のことが書かれてあります。この章を読む時に、襟を正す思いになります。

終わりの時のことを「悟れ。」 
終わりの定めのことを「見よ。」 

主は、ダニエルに終わりの時のことを悟らせたいと願いました。ダニエルの生きた時代、主の再臨は起こらないのに、主は終わりの時に起こることを知らせています。また、悟って欲しいと願っています。そうであるなら、現在生きる私たちはどれほど終わりの時を悟らなければならないのでしょうか?

今が終わりの時であり、主がまもなく帰って来られる時です。今、終わりの時を悟らないで、どうするのでしょうか?私は、8章を読む時、主に対する恐れを覚えます。なぜなら、御怒りの大いなる日、主のさばきが必ずなされるからです。

主は、愛なるお方であり、癒し主、慰め主、あわれみに満ちたお方であります。ですが、正しいさばきを行われるお方でもあります。私たちは、人や目に見える状況を恐れることがあります。ですが、一番恐れなければいけないのは主です。

「恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。」(ルカ12:5)

私たちは、御言葉なる主を恐れる歩みをしているか、今一度点検する必要があると思います。なぜなら今は、悔い改めて方向転換することが出来る時です。主があわれみと恵みで待って下さっている時を逃したら、悔い改めても悔い改めても、取り返しがつかない時がきます。

「家の主人が、立ち上がって、戸をしめてしまってからでは、外に立って、『ご主人さま。あけてください』と言って、戸をいくらたたいても、もう主人は、『あなたがたがどこの者か、私は知らない』と答えるでしょう。」(ルカ13:25)

「神の国にアブラハムやイサクやヤコブや、すべての預言者たちが入っているのに、あなたがたは外に投げ出されることになったとき、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするのです。」(ルカ13:28)

主に対する正しい恐れを持ち、主を愛すると言うなら、主の御言葉に聞き従う歩みを、今日していきたいと願います。また、絶えずゴールから目をそらさず、私たちの国籍は天にある者として、地上のことを思わず天にあるものを求めて歩みたい!とも願います。

ゴールを見続けなければ、どこを走っているのか分からない歩みをしてしまいます。それどころか、何のために走っているのかも分からなくなる時があります。

「そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。」(ピリピ2:12)

私は、ダニエル書を朗読する中で、ずれていたフォーカスが、見るべきゴールに焦点が合い、この救いの達成にどうしても至りたい!主といつまでもそばにいたい!と切なる願いが湧いてきました。

一日一日、御言葉なる主を恐れ、ゴールを目指し地道な歩みをしていきましょう!

■A:考えてみよう
・御言葉なる主を恐れる歩みをしているだろうか?(御言葉に聞き従っているだろうか?)
・日々、ゴールに希望を置いているだろうか?

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 おりえ 】

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