■S:今日の聖書の言葉
ヤコブの手紙3章13節
★あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行いを、良い生き方によって示しなさい。
■O:今日のコラム
シャバットシャローム!主の安息がありますように。
イエス様も人として歩まれ、神と人とに愛された青年期を過ごしました。イエス様が12歳の時に宮で話を聞いたり質問したりしておられる姿が書かれています。
「そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真ん中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。」(ルカ2:46~47)
12歳であるのに、周りで話しを聞いていた人々はみな、イエス様の知恵と答えに驚いていました。もし、イエス様が正しい答えだけを語り、良い答えを答えたとしても、行いが伴っていないのであれば、人々はそれほど驚かなかったでしょう。 事実その当時はパリサイ人などもいましたので、人々は口先だけの信仰、人々を責め立てるような信仰者を嫌っていたかもしれません。
しかし、12歳のイエス様を見た人々はみんな驚いたのでした。イエス様は口先だけでなく行いが伴っていたからです。 知恵が柔和な行いによってあらわにされ、賢さが良い生き方によって証しされていました。
生きた御言葉なる神様は私たちのただ中に住んでくださっています。私たちがその知恵、宝を私たちの中だけにとどめておくなら、人々は主の素晴らしさを見ることができるでしょうか? 土の器である私たちが、主の目的に従って用いられるときに報いが伴います。
私たちの中に生きた御言葉なるイエス様が住んでくださっているのであれば、柔和な行い、良い生き方が私たちの生き方を通して表されていく必要があります。それは私たちの栄光だけでなく、主に栄光をお返しすることになっていくのです。
■A:考えてみよう
柔和な行いとは何か?良い生き方とはどういうことか?御言葉が語っている柔和さと良い生き方とは何か。
イエス様がどのように育ったのか、12歳のイエス様の生き方はどのようであったのか。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あはごん 】
オンライン献金はこちらから。
大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。