■S:今日の聖書の言葉
伝道者の書12章13,14節(コリント人への手紙 第二 12章)

★結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。
神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。

■O:今日のコラム
ソロモンがこの書簡の最後に記した最も大切な結論は、

「神をおそれよ。神の命令を守れ。」

でした。

栄華を窮めたソロモンの言葉一言一言には重みがあり、説得力があります。言葉一つひとつが剣のように心に突き刺さります。

「知恵ある者のことばは突き棒のようなもの、編集されたものはよく打ちつけられた釘のようなものである。…」(伝道者12:11)

この書を読むと、人生には様々な楽しみ、喜びがあり、また、それと同時に、苦しみやむなしさもあることが分かります。泣くこともあれば笑うこともあり、愛することもあれば憎しむこともある。戦うこともあれば、和解することもあります。

人生には様々なことが起こり、複雑なことのように感じます。しかし、全ての道において主の主権を認め、正しい主の基準に生きるとき、人生はもっとシンプルなものとなります。

「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:5,6)

何事においても、シンプルであることはとても大切なことです。複雑さは私たちの時間、エネルギーを奪います。

なぜいつも物事が複雑になるのでしょうか。それは、自分が真ん中にいるからです。「なぜ私の人生にこんなことが起こるのか。なぜあの人はいつもああなのか。あの人のせいで私はこんな苦しい目にあっている。」

自分の義が基準となるとき、私たちの中からつぶやきが出てきます。その結果、人間関係はこじれ、状況はさらに複雑化します。しかし、自分の主張を捨て、全ての状況において主の主権を認め、神の義(みことば)によって生きるときに、私たちの歩みはまっすぐにされていきます。

そもそも、私たちに人をさばく権利は与えられていません。さばくお方は主だけです。私たちがすべきことは、ソロモンが記した通り、主を恐れ、ただシンプルに神様のみことばに従うことです。

「兄弟たち。互いに悪口を言い合ってはいけません。自分の兄弟の悪口を言い、自分の兄弟をさばく者は、律法の悪口を言い、律法をさばいているのです。あなたが、もし律法をさばくなら、律法を守る者ではなくて、さばく者です。律法を定め、さばきを行なう方は、ただひとりであり、その方は救うことも滅ぼすこともできます。隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか。」(ヤコブ4:11,12)

さて、イスラエルでは、今日がラッパの祭りから10日目の大贖罪日(ヨム・キップール)です。ユダヤ人は、この日、一年の歩みを振り返り、断食をして悔い改め、主のさばきの御座の前に立つことができるよう、身を整えます。

彼らは特に、何を悔い改めるのでしょうか。それは、人との間における罪の悔い改めです。赦せない人に対する憎しみ、怒り、苦味を彼らは徹底的に悔い改めます。

今日、悔い改めの霊が臨み、私たちにとって深い悔い改めと造り変えの日となりますように。

最後になりますが、私たちが主のさばきの座に立つときに問われることがあります。何を問われるのでしょうか。それは、私たちの口から出た言葉についてです。

「わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」(マタイ12:36,37)

イスラエルの民はつぶやきによって滅ぼされました。つぶやきは、私たちを神の計画、神の約束、神の召しから遠ざけます。私たちは、彼らの失敗から教訓を得たいと思います。

「また、彼らの中のある人たちがつぶやいたのにならってつぶやいてはいけません。彼らは滅ぼす者に滅ぼされました。これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。」(1コリント10:10,12)

今、イスラエルから記事を書いていますが、イスラエルに来て、息子と一つの約束をしました。それは、「疲れた、眠い、いやだ」という言葉を言わないということです。

イスラエルにいると、つぶやきたくなる状況がたくさんあります。秋と言えどイスラエルはまだまだ暑く、日照りで少し外に出るだけでも体力を消耗します。「暑い…帰りたい…」と気がつけば、つぶやいています。

また、エルサレムの道はでこぼこしていて歩きづらく、その上、上り坂や下り坂ばかり。「疲れた…」というつぶやきが簡単に口から出てきます。意識しなければ、いとも簡単につぶやいてしまいます。つぶやきは神のみこころから私たちを離れさせます。今日、つぶやきを捨てる決心をしましょう。

さばきの主が戸口のところに立っています。私たちは、今日、徹底的な悔い改めをもって、主のさばきの御座に立つ準備をしましょう。

「兄弟たち。互いにつぶやき合ってはいけません。さばかれないためです。見なさい。さばきの主が、戸口のところに立っておられます。 」(ヤコブ5:9)

■A:考えてみよう
大贖罪日のこの日、あらゆる苦味や赦せない心を悔い改め、血潮で洗いきよめられ、完全に新しくされていく時を持ちましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひさえ 】

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