■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第二10章12節(伝道者の書10章)
★私たちは、自己推薦をしているような人たちの中のだれかと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです。
■O:今日のコラム
私が子どもと話していると「僕がクラスで一番上手いよ」とか「僕が二番目の成績だったよ」と話してくることがあります。私は「良かったね」と受け止めてあげますが、人と比較して何番か?に執着するのはやめなさい、とも教えます。
世の中では、相対的な比較によって自分を判断します。勝っている、負けている、優れている、劣っていると。人と比較することも重要ですが、最も重要な比較があります。私たちが本当に比較すべきもの、それは自分に語られた御言葉です。
「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。
みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。
自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。
ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。」
(ヤコブ1:22~25)
自分に語られた御言葉を見つめて、その御言葉をもって神を愛し、人を愛し、その御言葉の通りの自分となることを願い生きるなら、私たちは祝福を受けるのです。
それこそ私たちの勝利です。世の中の勝ち組、負け組などの価値観に流されたり、焦ったり、不安になったりせず、揺らぐことのない御言葉に目をとめ続けるのです。そうすれば揺らぐことのない圧倒的な勝利者となるのです。
逆に世の中の評価に自分の価値を置くなら私たちの価値はアップダウンが激しく、安定しません。「良くやった、良い忠実なしもべだ。」という主の評価のために生きるのです。そうしれば私たちは嵐の中でも安定して歩むことができるのです。
この世の中は、激流、大水の洪水のように感じることがあります。しかし私たちが御心に生きることを選び続けるなら、大水も私たちを押し流すことはできないのです。
■A:考えてみよう
人と比較することは知恵がないという御言葉にそって生きよう。自分が何番か?ではなくみんなが最高になれるように願おう。自分に語られた御言葉を見つめよう。口ずさみ、思い巡らそう。御言葉と自分を比較しよう。
■P:祈り
主よ。マリヤが祈ったように、御言葉の通りこの身となりますように。人と比較して高ぶったり、落ち込んだりする心と考え方の全てを十字架に打ち付けます。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
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