■S:今日の聖書の言葉
伝道者の書8章6節後半

★知恵ある者の心は時とさばきを知っている。

■O:今日のコラム
伝道者の書において、8章は明確な転換点です。6章に至るまで、伝道者は地上での多くのむなしさを嘆いています。しかし、8章で一つのことを見出します。それは、主の時と主のさばきです。

世の中では、多くの人が主に背いて生きています。しかし、主に背く人が報いを受けているのを見ることは多くありません。それどころか、世の中の多くの”成功者”たちは主に従っていない人たちです。

これらを見ると、「彼らのように自分勝手に振る舞いたい。」「聖められることになんの意味があるのか。」と考えてしまう時があります。自分がしていることはむなしい、意味がない、と世の中の人を妬むようなことさえあります。

ダビデの幕屋で仕えたアサフも、同じ妬みとむなしさを経験しました。詩篇73篇に、彼の心情が正直に書きつづられています。しかし、彼は悪者の最後を悟りました。

「私は、神の聖所に入り、ついに、彼らの最後を悟った。」(詩篇 73:17)

これが、知恵ある者の心です。「さばき」と聞くとあまり良いイメージがないかもしれません。もちろんさばきは、悪い行いに対するさばきですが、同時に、主のために行った全ての良い行いに対する報いも意味します。

したがって、もし知恵を得るなら、悪に対するさばきを知ります。また、同時に主に仕える者に対する報いをも知ることになります。

「罪人が、百度悪事を犯しても、長生きしている。しかし私は、神を恐れる者も、神を敬って、しあわせであることを知っている。」(伝道者8:12)

アサフが神の聖所に入って知恵を得たように、私たちも神の聖所に入って知恵を得ましょう。聖所は、至聖所である天に続く道です。キリストの肉体という垂れ幕を通してのみ、この生ける道に進んでいくことができます。そしてキリストの血によってのみ、至聖所に入ることができます。

「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。」(ヘブル10:19-20)

■A:考えてみよう
イスラエルのカレンダーにおいては、今は年始の時期です。去りし一年間を思い起こし、主に感謝を捧げましょう。

「しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。あなたは、私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。」(詩篇73:23-24)

苦しかったときも主が共におられたことを知るとき、励ましと慰めを受けて、もう一度後の栄光への希望を持って歩むことができます。

■P:祈り
愛する天の父なる神様、あなたが私を選び、私の手を握り、決して離すことなく導き続けてくださっていることを感謝します。

どうか、私たちの地上での生涯のあとに用意されている、全ての報いと栄光から目を離すことなく、主の聖所を至聖所に向かってまっすぐに歩むことができますように。

また、主が共におられることを絶えず思い起こし、感謝を捧げ続ける歩みをすることができますように。またそのために、私のうちにますます御言葉と聖霊様に対する従順さを増し加えてください。

愛する主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 けいしろう 】

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一つのコメント


  1. 齊藤聖子 より:

    文章に書かれました意味深い聖なる道を歩むのには、本当に主イエスのご臨在が、必須です。主ご自身が尊い御体で、すでに私たちのために勝利を得てくださいました。ダビデのように主を愛し従い、神様に捧げて最後まで歩みます。栄光主にあれ。

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