■S:今日の聖書の言葉
エステル記10章3節

★それはユダヤ人モルデカイが、アハシュエロス王の次に位し、ユダヤ人の中でも大いなる者であり、彼の多くの同胞たちに敬愛され、自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語ったからである。

■O:今日のコラム
エステル記10章は3節しか無い短い章ですが、その中にはモルデカイの偉業が讃えられています。補足となりますが、ユダヤ人が使用している聖書には章や、節の区分がありません。章や節の区分がされるようになったのは、新約聖書の教会時代になり数世紀経った後のことです。

エステル記はエステルの名前が付けられていますが、その最後はエステルではなくモルデカイの偉業を讃えて閉じます。それはモルデカイのとりなしがなければユダヤ人が虐殺から救われることがなかったからです。

モルデカイへの賞賛の中に、彼が「自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語った」と記されています。モルデカイが求めたのは自分の快適さや成功、名声や幸福ではなく、民族全体の救いと平安でした。それはまさに自分の願いを捨て、父なる神の御心がおこなわれることを求めたキリストの姿の型とも言えます。

主は今のこの時代においても、自分の願いや問題、必要や成功や満たしばかりを求める祈りから抜け出して、主の願いと御心がこの国とこの時代に成されることを願い求めるとりなし手たちを探し求めておられます。そのようなとりなし手たちが立ち上がる時、エステル記で起こったように敵の策略が、むしろ主の民の勝利の足台へと変えられてしまうのです。

ハマンが計画した悪しき計画がむしろユダヤ人の大勝利と変わったように、主は私たちの最悪に思える現状の中にも偉大な計画をお持ちで、歴史も人生も全てを治め、支配しておられるのは主ご自身なのです。人生の中で「何で」と思うようなことがある時にも「それでも主よ。あなたがこの状況を治めておられる主です。あなたには私の思いを遥かに超えた計画があり、あなたは全てを支配しておられる偉大な主です。」と主に信頼する信仰を持つのは大切なことです。

バビロン捕囚は、エルサレムが崩壊し、人の目には悲劇的な出来事に見えます。しかし、主はご自身の民を整える為にバビロン捕囚を大いに用いられました。バビロンの地であらゆる偶像と異教の文化に囲まれる中でユダヤ人は自分たちのアイデンティティーと信仰を守る必要がありました。その中で聖書がまとめられて編成され、また神殿が無くても礼拝が出来るように、会堂中心の礼拝が形成されて行きました。聖書の編成と会堂の形成は後の世代の莫大な霊的財産となり、新約聖書の時代に異邦の地に教会が建て上げられて行く為の土台となりました。

またホロコーストはユダヤ人にとって痛みと苦しみと悲しみに満ちた悲劇の歴史です。しかし、主はその悲劇的な歴史さえも用いて、ユダヤ人たちを奮起させ、国家が必要だという思いを起こさせ、1948年にイスラエルが再建国されるに至りました。

「なぜこんなことが」と思う悲劇的な出来事の中にも主の完全な御手があります。それなので今日私たちはホロコーストの時、虐殺されたユダヤ人たちの最期を覚えましょう。

聖書の教師が壁の前に立たされ、射殺される直前に彼らは、嘆き、悲しみながらも主が全てを治めておられることを覚え「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。」という申命記の第一の戒めを告白しながら撃たれ、この世を去って行きました。

主こそが私たちの人生を治めておられる神であり、ただ唯一の主です。今日私たちもあらゆる状況の中でこのことを心に刻みましょう。

■A:考えてみよう
第一の戒め(シェマの祈り)を今日一日もあらゆる時に口ずさみ、主が私の主権者であることを心に刻みましょう。

「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。心(内なる人)を尽くし、精神(息、命の根源)を尽くし、力(持てるもの全て)を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6:4~5)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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