■S:今日の聖書の言葉
エステル記5章9節

★ハマンはその日、喜び、上きげんで出て行った。ところが、ハマンは、王の門のところにいるモルデカイが立ち上がろうともせず、自分を少しも恐れていないのを見て、モルデカイに対する憤りに満たされた。

■O:今日のコラム
モルデカイの信仰の姿から多くの事を学ぶことができます。

彼は、ハマンにひれ伏さなかったがゆえに、ユダヤ民族滅亡の危機を招いてしまいます。ハマンにひれ伏せば、ここまで大事になることはありませんでした。しかし、モルデカイはハマンにひれ伏すことはしませんでした。モルデカイはハマンを全く恐れていなかったのです。

なぜでしょうか?それは、モルデカイが天地万物の創造主であられるイスラエルの神を恐れていたからです。

モルデカイは恐れなければならないお方が誰であるかを知っていたのです。彼は神を恐れるユダヤ人であったので、常日頃から神を恐れるという習慣が出来ていました。ですから、ハマンにひれ伏さなければならないという信仰の試練がやって来た時にも、ハマンを恐れることなく、主を恐れることができたのです。

このようなモルデカイの素晴らしい信仰はどのようにしたら身に付くことが出来るのでしょうか?それは、常日頃から主を恐れる生き方を選択することです。たとえ、信仰の試練が無い平和な時においても、主を恐れ、主の前にひれ伏すことが大切なのです。そのことによって、私たちは恐れなければならないお方が誰であるかわかるようになります。

人を恐れてしまう原因は何でしょうか?それは、神様よりも人を恐れているからに他なりません。常日頃から神様を恐れる習慣が身に付くことが出来れば、モルデカイのように人を恐れなくなるのです。

また、主を恐れる習慣が無いままに、いざ信仰の試練がやって来たときに、主を恐れ主を選ぶことは難しいことです。主を愛する者には必ず信仰の試練がやって来ます。しかし、そのような試練を通して本当に神様を恐れているかどうかが問われるのです。信仰の試練がやって来たときに恐れる必要はありません。このような御言葉があります。

「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ10:28)

この御言葉のように、私たちはこの世のものを恐れる必要は全くありません。本当の意味で恐れなければならないお方を知ることは、恐れの支配から解放される道なのです。

今日も一日、私たちの主であるイエス様を恐れ、歩んで行きましょう。皆様の上にイエス様の豊かな恵みがありますように。

■A:考えてみよう
主を恐れることとは具体的に御言葉を恐れることです。

御言葉を朗読し、その後で御言葉の前にひれ伏し祈りましょう。

■P:祈り

愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あきひろ 】

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