■S:今日の聖書の言葉
エステル記2章5節
★シュシャンの城にひとりのユダヤ人がいた。その名をモルデカイといって、ベニヤミン人キシュの子シムイの子ヤイルの子であった。
■O:今日のコラム
ここを見るとエステルはベニヤミン族であることが分かります。ベニヤミンはイスラエルの末子であり、最も小さい者です。これはイスラエルから見て東の果ての小国である日本を連想させます。私たちは最も小さな者ですが、御父は、小さな群れよ、恐れるな。わたしは喜んで御国を与える、と言ってくださっていることを感謝いたします。
この末子のベニヤミンがヨセフ(イエス様の型)のところに行くならイスラエルの家は救いにあずかることができる、というのが創世記の最後のストーリーです。日本は小さな国ですが偉大な役割が与えられていることを感謝いたします。
使徒の働き1章8節でエルサレム、ユダヤ、サマリヤの全土および地の果てにまで、とありますが、その東の地の果てである国が日本です。この地の果ての小さな国、ベニヤミンのような国がエルサレムまで帰って来るならそれはイスラエルの救いに結びつくリバイバルとなることを信じます。
そしてこのベニヤミン族から出て来るエステルは、キリストの花嫁の型です。日本のリバイバルは花嫁の霊性の回復のリバイバルとなり、ユダヤ人にねたみの心を起こさせるものとなっていきます。
日本には、国のために命を捧げるスピリットがインプットされているように思います。それはこの世にあって「ハラキリ」「カミカゼ」とこの世の主人のために用いられてきました。しかし贖われ、まことの主であるイエス様のためにこの日本人のスピリットが用いられることを信じます。
エステルも自分の命を捧げて自分の使命を全うしました。それは神の民のためにとりなし祈り、王の王と神の民との間に立って、仲立ちのわざを全うすることでした。
■A:考えてみよう
まずとりなし祈ることから始めましょう。主は必ず私たちに仲立ちのわざに導かれることになるでしょう。神に従って、隣人を愛し、自分を捧げることに導かれるなら、喜んで受け入れましょう。
■P:祈り
自分を捨て、日々自分の十字架を負ってイエス様についていきます。あなたが二つのものを一つにする和解のわざ、仲立ちのわざを成し遂げてくださったことを感謝いたします。今は和解のつとめが私に委ねられていますから、どうぞ成し遂げさせてください。あなたとともに、御霊の力にあって成し遂げることができることを感謝いたします。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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