■S:今日の聖書の言葉
ネヘミヤ記1章3~7節

★すると、彼らは私に答えた。「あの州の捕囚からのがれて生き残った残りの者たちは、非常な困難の中にあり、またそしりを受けています。そのうえ、エルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼き払われたままです。」
私はこのことばを聞いたとき、すわって泣き、数日の間、喪に服し、断食して天の神の前に祈って、
言った。「ああ、天の神、主。大いなる、恐るべき神。主を愛し、主の命令を守る者に対しては、契約を守り、いつくしみを賜る方。
どうぞ、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエル人のために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエル人の罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。
私たちは、あなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった命令も、おきても、定めも守りませんでした。

■O:今日のコラム
ネヘミヤ記はエルサレムの城壁の回復が描かれている書簡です。城壁が無ければ無防備で敵に良いものを奪われ放題です。私たちの家族、教会、そして自分がカバーすべき人々がカバーされるための城壁を築くためにとりなしの祈りをしましょう。

城壁建設を指揮するネヘミヤの心は、城壁が破壊されていることを知って痛み、とりなしの祈りに導かれていきました。城壁が無いことを嘆くのは、とりなし手の心であり、イエス様の心です。

その時のネヘミヤの立ち位置は、神の側から人々を見下すようなものではありませんでした。とりなす者は中間に立つ必要があります。そして自分は弱者の側から主に向かって祈るのです。ネヘミヤは、自分の父世代が犯した罪のせいでエルサレムが崩壊したにもかかわらず、「私も私の父も」と告白しています。

とりなしの祈りをするときに、自分が神の側から弱者に対して祈るようなことをすると、いつの間にかとりなしの祈りが裁きの宣言のようになってしまいます。「罪深いあの人、人を赦さないあの人に介入してください。どうしようもないあの人を助けてください。」というような祈りは、とりなしなのか裁きなのかよく分かりません。

とりなし祈る者、破れ口に立って「私たちを憐れんでください」と祈る者となりましょう。

■A:考えてみよう
とりなし祈る習慣を身につけましょう。花嫁なるエルサレムが完成するためにイエス様は「場所をつくりに行く」と言われとりなしをされています。であるならば、私たちも花嫁なるエルサレムが建て上げられるために祈るのです。

あなたが祈り続けるべき人は誰でしょうか?その人のために毎日、定期的にとりなしの城壁を築くために祈りを捧げましょう。

■P:祈り
最低でも祭司としての働きのために、血潮の力を宣言し、とりなすべき人の名前をあげて祈りましょう。「私たちを憐れんでください」と祈り、最後にゼカリヤ2章5節を宣言し城壁が築かれることを宣言しましょう。

「しかし、わたしが、それを取り巻く火の城壁となる。--主の御告げ--わたしがその中の栄光となる。」(ゼカリヤ2:5)

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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