■S:今日の聖書の言葉
エズラ記1章3節

★あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。

■O:今日のコラム
バビロンでの捕囚の民としての生活が終わり、エルサレムへと帰還し、主の宮を建てる旅路がエズラ記1章から描かれています。

エズラ記は、ただ歴史を記した書簡ではなく、終わりの時代にあって私たちが目指していくべき預言的な信仰の旅路であると信じます。

エルサレムへ向かうことの霊的な意味が、「イエスの血潮を宣言する祈り」(アテフ・メシュレキー著)にこのように説明されています。

「エリコ(世)を克服するということは、主の臨在として象徴される契約の箱が置かれている町、エルサレムに向かって行くことである。…したがって、私たちがたましいの中にある世的な偶像を取り除き、聖別された道のりを歩み始める時、世に属していた私たちのたましいの街は、神が住まわれ、臨在するエルサレムへと変わるでしょう。」

私たちが日々聖さを求め、聖別された道のり、すなわち主の似姿に変えられて行く聖化の旅路を歩むことがエルサレムへと向かっていく道であり、我が内に神の御住まいが建てられていく重要な歩みとなります。

主は、「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない。」と言われます。「神のみこころは、あなたがたが聖くなること」(第1テサロニケ4:3)です。

「聖さ」と言うと、何か抽象的なことのように感じます。聖さの本当の意味は何でしょうか。

多くの人は、聖い生活を送るということは、楽しくない、興奮もない、たいくつでつまらない、何か宗教的な生活を送ることだと思うかもしれません。しかしこれは人間的な考えで、真理とは全くかけ離れたものです。

聖さとは、魅力的で美しいものです。イエス様が行くところどこででも群衆がついて行ったのはそれゆえです。小さな子どもたちでさえ、イエス様に抱かれるために近くに寄って行きました。聖さは、受動的なものではなく人を惹きつける強い力があるのです。聖さは、主の栄光を反映させ、主の力強い証し人にさせます。

聖い人は、暗くて退屈な人ではありません。その逆です。聖い人は、生き生きとし、明るく、輝いています。また、聖さを持つ人は、聖霊様の深い臨在をもたらします。誰か聖い人が部屋の中に入ってくると、神の油注ぎがその人と共に入ってくるのを感じます。また、聖い人が話し出すと、その言葉には権威と重みがあります。

聖められれば聖められるほど、神の油注ぎが私たちの内に臨み、私たちは鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます(第2コリント3:18)。また、聖められれば聖められるほど、主との親密さ、愛の関係が回復し、主と一つとされていきます。

聖さから聖さへ、一歩また一歩、聖別された道のり、すなわち主の似姿に変えられて行く聖化の旅路を歩んできたいと願います。そして、我が内に、我が教会に、神の御住まいが建てられ、聖霊様の臨在が実体をもってこの地にもたらされていきますように。

■A:考えてみよう
神が住まわれ、臨在されるエルサレムとなるために、私たちの心、たましいを見張りましょう。

主が、喜んで私たちの内に入って来られるような霊的環境を建て上げるために、私たちの言葉、行い、思いを聖めましょう。

今日、聖霊を悲しませる汚れた思いや会話、行動を捨て去る決心をしましょう。

「あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。それは、『わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない。』と書いてあるからです。」(第1ペテロ1:15,16)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひさえ 】

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