■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの手紙第一3章2~3節
★愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。
■O:今日のコラム
私たちの信仰生活のゴール。それはキリストと顔と顔を合わせ、キリストと同じ栄光の姿へと変えられることです。その時、私たちは復活の体、御霊の体、栄光の体へと変えられ、もはや罪が私たちを悩ませることも、病や痛みが私たちを苦しめることも無く、神の栄光を身にまとい、永遠の命に満ち溢れて生きるようになるのです。栄光の体に変えられることを神学用語では「栄化」と呼びます。
ヨハネは今日の箇所で、この栄化に対する望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。と言っています。では、「栄化」は無条件に誰にでも与えられるものでは無いのです。このことにおいては神学論争が起こりますが、しかし、大切なのは神学の中に答えを探そうとするのではなく、御言葉の中に答えを見つけることです。
新約聖書の中で、パウロも、ペテロ、ヤコブ、ヨハネも、またイエス様ご自身が信仰の歩みを戦い抜くこと、主に忠実に歩むこと、御言葉を行うこと、あらゆる努力すること、きよさを求めることを教え、勧めています。それは全て信仰生活のゴールである栄化に至る為です。
パウロはこの地上で試練や困難に直面する時にも、絶えず永遠の栄光を目的とし、永遠のものに目を向け続けていました。
「今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(2コリント4:17~18)
では、「栄化」に至る為には、この地上で「聖化」のプロセスを歩んで行く必要があります。聖化はこの地上で一生かかるプロセスです。時にはこのプロセスに取り組んで行くとき、一歩進んだかと思うと数歩さがるような経験もするでしょう。
たとえば、「悪い言葉を口にしないと決心して歩み始めた。しかし、思わずおしゃべりがすぎた。」とか、「寛容な心を持つと決心して歩み始めた、しかしイライラし怒りを表してしまった。」または、「時間を有益に使う為に、御言葉を読み、祈りの生活をする決心をして歩み始めた、しかし気がつけば多くの時間をインターネットに浪費してしまった。」など・・・。
そんな時、私たちは「やっぱり私はだめだ。聖化のプロセスを歩むのにふさわしくない。」とあきらめてしまうものです。しかし、そのような壁に直面する時にこそ、正直に自分の弱さを告白して悔い改め、十字架を仰ぎ見て、主イエスの血潮のきよめを受け取り、聖霊なる主にもっと深く依り頼む機会となるのです。
聖化のプロセスは私たちが一人で歩むのではありません。何よりも助け主なる聖霊様が私たちに力を与え、強め、導いて下さいます。また、神の家族が互いにとりなし合うことを通して、互いに重荷を負い合い、キリストの律法を全うしていくことが出来るのです(ガラテヤ6:2参照)。
多くのことは出来なくても、大きなことは難しくても、先のことは分からなくても、今日という日に父なる神の心を行うことを求め、主イエスの十字架に信頼し、御霊に導かれて、聖化のプロセスを一歩進んで行こうではありませんか。
■A:考えてみよう
私は、個人の祈りの生活において、日々聖化のプロセスを歩んで行く為に主の御前で御言葉を告白して正直に祈ります。その例を下記の祈りに記します。皆様も主に祈り求めて下さい。
■P:祈り
主よ。御言葉には『何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。』(1ヨハネ5:14)と約束されています。聖くなることは主の御心にかなうことであり、主はこの願いを聞いて下さることを知っています。主よ。今日もあなたの聖さに与らせて下さい。イエス様と一体になり、聖霊様に導かれて、今日一日の中でも父なる神の心と計画を実行して生きることが出来るように助け、力を与え、導いて下さい。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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