■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書22章42節

★「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」

■O:今日のコラム
本日の箇所、ルカの福音書22章は、イエス様が十字架にかかる前の多くの出来事が記されている箇所になります。何度も何度も繰り返し朗読しましたが、私の中ではひとつの箇所が心の内に残りました。それが本日の聖句になります。

私たちは自分に死ぬことをメッセージで聞くと思いますが、今回、私が思わされたのは、何のために死ぬのかということでした。私たちは、自分に死んだことを人に示すために死ぬのでしょうか。私は自分に死んだということを誇り、満足するために死ぬのでしょうか。自分に死ぬ自分の行いは素晴らしいとするために死ぬのでしょうか。

イエス様は何のために死なれたのでしょうか。

「しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう」(イザヤ53:10~11)

「イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」(ヘブル12:2b)

イエス様は十字架も見ていましたが、その先を見ておられました。すなわち、ご自分の十字架によって贖い出される子孫が生み出されるという喜びのために、十字架に従われました。これが神様の情熱、心であることを覚えます。

イエスキリストの子孫とは、原語の意味をもって言うのであれば、イエスキリストの種です。種は御言葉ですから、言い換えれば神の真実な御言葉となった者たちこそ、イエスキリストの子孫となった者たちです。

「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。それは、こう書いてあるからです。『わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。』」(1コリント1:18~19)

私たちのうちにある人間的な知恵、賢さ、自我は十字架のことばという神の力をもって滅ぼされます。

イエス様は、私たちを御言葉と一つとなる者とするために、ご自分をお捧げになられました。私たちはイエス様が残してくださったその足跡に従って、自分に死んで、葬られて、復活へと聖霊様に導かれて、神の力によって、進んでいこうではありませんか。

■A:考えてみよう
何のために自分に死ぬのでしょうか。何が私たちの死ぬ理由になっているでしょうか。

自分の行いを誇るため、またはご利益のような自分にとって良いものを受けるためというような理由はないでしょうか。

神様の御心は、時に私たちの思うことの反対側にあることがあります。神様の御心は、ヨナがタルシシュへ行くことではなく、ニネベに行くことでした(ヨナ1:1~3参照) 。弟子たちが漁をしているとき、網は弟子たちの思うところにではなく、反対側である舟の右側におろされるべきでした(ヨハネ21:3~6参照)。

私たちがこれがしたい、これをしよう、こうしたらいいと思うことではなく、それとは反対のことが神様の御心であったり、導きであることがあります。それを選び取ることができますように。

今日私たちは自分の心を主にあって吟味し、今日もイエスキリストの子孫となるために、自分が通らなければならない砕きを求めましょう。そして主によって復活させられましょう。

■P:祈り
イエス様、あなたの恵みと変わらない愛を感謝します。
あなたは十字架を通してご自身の子孫を生み出すという喜びを見て、ご自身をお捧げになりました。その喜びが私の喜びとなりますように。今日も私を砕いてください。へりくだりを教えてください。その死と葬りと復活を通して、あなたの子孫、御言葉と一つになった者とならせてください。御言葉なるイエス様、あなただけが私のうちに残りますように。

愛する主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 たくみ 】

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