■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの手紙 第一 4章4節

★子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。

■O:今日のコラム
終わりの日には反キリストが現れます。ヨハネはこの手紙の中で、反キリストに関する話をしています。

もちろん、一人のリーダーとして現れる、反キリストと呼ばれる人物がいます。しかし、ヨハネがこの書簡で問題にしているのはその人物ではなく、私たちの内側に働く反キリストの霊性についてです。その正体について、ヨハネはこう書いています。

「偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。」(1ヨハネ2:22)

反キリストとは、御父と御子を否定し、自分を神とする者のことです。この性質は私たちの内側に強く働いています。終わりの時代に生きる私たちは、反キリストに打ち勝たなければなりません。私たちの内側の王座に座ろうとする反キリストを引き下ろし、主を王座にお迎えしなければなりません。

今日の聖句から、反キリストに打ち勝つ者は神から出た者であるということがわかります。私たちを反キリストの霊に支配させないために、私たちは「神から出た者」になる必要があります。

ヨハネはこの手紙の中で、「神から出た者」、「神から生まれた者」、「神の子ども」など、様々に言い換えていますが、一体どのような者のことでしょうか。神から出た者について、いくつか特徴があげられています。

・初めから聞いたこと(すなわち神の命令)、みことばを自分の内にとどまらせている。(1ヨハネ2:24)

・義を行う。(1ヨハネ2:29)

・神の種がその人のうちにとどまっている。そのために罪を犯すことができない。(1ヨハネ3:9)

・イエス様が内側におられる。(1ヨハネ4:4)

ヨハネは表現を変えつつ、一つの特徴だけを述べています。神から出た者は、その内側に神のことばをとどめているということです。そして、神のことばをとどめているということは、それを守り行っているということです。それがイエス様を愛するということであり、キリストにとどまるということでもあります。さらには、イエス様が私たちにとどまってくださるということでもあります。

聞くことはある程度簡単です。しかし、それを行うことは非常に難しいことです。多くの場合私たちは、それを行うという段階でつまずいてしまいます。しかし、私たちがそれを行うことができるようになるために、主は愛を与えてくださいました。

「私たちが神の子どもと呼ばれるために、ー事実、いま私たちは神の子どもですー 御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。」(1ヨハネ3:1)

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(1ヨハネ4:10)

私たちが弱さを覚えるとき、不従順な自分に失望し疲れ果てるとき、私たちは神の愛に立ち帰る必要があります。ここでの「神の愛」とは子に注がれる無条件の父の愛ではありません。御子を捧げた御父と、自らを捧げた御子の愛、すなわち十字架によって示された和解の愛です。

神様に創られたにも関わらず、神様に背き敵対していた、驕り高ぶった私に対し、神様はわざわざ和解を与えてくださいました。どのような方法によってでしょうか。ご自分のただひとりの子である方を地上に送り、十字架につけて死に至らせることによってです。

御子を十字架につけたのは誰でしょうか。それは私です。私が罪を犯し、その罪によって、私がこの手でイエス様を鞭打ち、傷つけ、打ち砕き、十字架に釘付けにしました。

聖書には詳細は書かれていないので、イエス様は少し嘲られ、鞭打たれてすぐに十字架にかけられたように感じてしまいます。しかし、その責めは想像を絶するほどであったはずです。イザヤ書には彼の顔は損なわれ人のようではなかったとまで書かれています。それが私がイエス様にしたことでした。

そして、イエス様は十字架にかかられ、私が打った傷、私が砕いた体を見て、「今、あなたが打ったこの傷、あなたが砕いたこの体によって、わたしはあなたと和解をした。」と言われたのです。

これは主が私に示してくださった和解の愛です。これが示されたとき、私の理解をあまりにも超えていて、理解することはできませんでした。しかし理解はできずとも、この愛を知ってしまった私には、もはや応答しないという選択肢は残されていませんでした。

主に従いたいけど従うことができないという葛藤に疲れ切ってしまうとき、十字架につけられたイエス・キリストが、はっきりと私たちに見せられますように。そして、イエス様の和解の愛によってもう一度奮い立たせられ、もう一度、自分自身を主に捧げる歩みを始めることができますように。

■A:考えてみよう
黙示録を読むと、反キリストは「子羊のような二本の角」を持っていることが書かれています。つまり、反キリストはまるでイエス様のような姿をしているということです。

例えばそれは、自分自身で御言葉に従おうとする熱心さかもしれません。もしそれが神様を超えて一番になってしまっているのであれば、深刻な偶像礼拝です。自分ではイエス様を王座に迎えているからこそ熱心になっているつもりでも、それはイエス様のような姿をした反キリストを王座に迎えてしまっていることかもしれません。

ヨハネの手紙第一は、偶像を警戒しなさいという言葉でとじられています。それはいつの間にか私たちの内側に入り込んでいます。私たちは厳重に警戒しなければなりません。私たちの内側から主以外の一切の不純物が取り去られることを願い求めましょう。

■P:祈り
主よ、今正直に御前に祈ります。口では「私をあなたに捧げます」、「私の全てはあなたのものです」と言っていますが、実際の生活を見るとき、自分自身が生きていて、全く主に捧げられた歩みをできていないことを覚えます。
あなたに従いたいです。しかし、それができません。どうか、十字架につけられたイエス・キリストを、もう一度はっきり私に見せてください。あなたの慈愛によって、あなたに従うものに造り変えてください。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 けいしろう 】

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