■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書20章38節

★神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。というのは、神に対しては、みなが生きているからです。

■O:今日のコラム
初代教会の時代、御言葉の朗読には非常に大きな重みがあり、礼拝の中心は御言葉を朗読することにありました。当時は現代のように一人が一冊、聖書を所有することが出来なかったので、会堂にある写本が朗読される時、聖徒たちはその御言葉に聞き入り、また暗唱し、自分の心に御言葉を刻みつけました。

彼らは幾度も御言葉を朗読し、御言葉を思い巡らし、御言葉を黙想する中で、時にはイザヤ書を朗読し、黙想する時にイザヤがそこに来て御言葉を解き明かし、また他の書簡を読む時は、その書簡を書き記した聖徒が現れ、御言葉を解き明かしたと言われています。

このような伝承を聞く時、「これは非聖書的なおとぎ話しだ」と思うかもしれませんが、御言葉を通して見る時、これは決して非聖書的な内容ではなく、とても聖書的なことだと理解するようになります。

今日の箇所でイエス様は、

「神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。というのは、神に対しては、みなが生きているからです。」

と言われています。全ての天に召された聖徒たちは、この地上における肉体においては死を迎えましたが、主にあっては今も生きているのです。ヘブル人への手紙を読む時、初代教会に上記に書いたような内容の信仰があったことを見ることができます。

「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(ヘブル12:1)

ヘブル人への手紙の記者は、11章において様々な信仰者の歩みを語り、そしてこの12章1節において「彼らは雲のように私たちを取り巻く証人である」と説明しています。別の訳には「彼らは今も私たちを取り囲み、私たちが信仰のレースを最後まで走り抜くように声援を送っている。」という意味で記されていました。

聖書を開く時に、そこに信仰の父祖たちは今も生きていて、私たちが主の約束の答えが見えず忍耐が必要な時、「私も何度も疑いそうになり、希望を捨てそうになった。自分の方法を使って失敗し、落胆しそうになった。しかし、主は真実なお方で、主は必ず約束されたことを成就される。このお方に信仰を持ち続けよう。」とアブラハムは今も私たちを励まします。

モーセもダビデも、その他にも数えきれない程の聖徒たちが、自分たちの痛みや失敗、葛藤や悩みを隠すこと無く証しし、私たちが何度でも立ち上がって主に信頼し、主の道を最後まで歩むことが出来るように今も声援を送り続けています。

日々、御言葉を開き、今も主の中で生き語り続ける信仰者たちの声を聞くことが出来ますように。このシーズンから御言葉の啓示の戸が開かれる、新しい油注ぎが臨むことをお祈り致します。

■A:考えてみよう
今年も残す所あと4ヶ月です。この期間に少なくとも、一回は聖書を通読することが出来るようにチャレンジしましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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