■S:今日の聖書の言葉
箴言16章26節
★働く者は食欲のために働く。その口が彼を駆り立てるからだ。
■O:今日のコラム
飢え渇きは私たちを何かの行動に駆り立てるものです。飢え渇きが無いなら私たちは怠惰になります。そういう意味で私たちの最大の試練は生ぬるさです。もう満ち足りてしまって、飢え渇きがないなら、なかなか前進できません。
私たちは、花嫁なる新しいエルサレムになるように召されています。それは主の住まわれるシオンの山となる召しなのですが、シオンとはカラカラに渇いた所という意味の言葉です。シオンは主に対して純粋で猛烈な飢え渇きを持った礼拝者の山なのです。
与えられた飢え渇きを正しく用いることは重要です。飢え渇きは自分で調整できるものではないからです。栄光から栄光へと変えられる度に、飢え渇きは純粋に激しくなっていくものです。
主は「誰でも渇いているなら、いつもわたしのもとに来ていつも飲みなさい」と叫ばれました。黙示録の最後も「渇く者は来なさい。いのちの水が欲しい者は、それをただで受けなさい」とあります。主は私たちに飢え渇いて求めて欲しいのです。
でも、もっと具体的にどうしたら求めたら良いのだろう?と私は思いました。御霊に飢え渇く、義に飢え渇くなど色々な飢え渇きがありますから。マタイ5章3~10節にある八福の順で求めることをお勧めいたします。これは聖所の器具とも対応していますがそれは主と出会うためのステップなのです。この一つひとつに飢え渇きをぶつけるのです。
1、主ご自身に飢え渇く(マタイ5:3、門)
ここでは、感謝、賛美、叫びをもって慕い喘ぎます。
2、イエス様の十字架に飢え渇く(マタイ5:4~5、祭壇)
十字架の愛と赦しを受け、悔い改める。へりくだった、砕かれた悔いた心を受け取る。
3、義に飢え渇く(マタイ5:6、洗盤(海))
昨日与えられた御言葉を口ずさみ思い巡らし、そのギャップを埋めることを飢え渇いて求める。
(ここから先は「祈りの中で」と、「地上の歩み」の二つの面で書き分けます。聖所の中を礼拝者として歩むことは、真理の内を歩むことであり、この世にあって真理の内を歩む側面が礼拝者として欠かせないからです)
4、御言葉に飢え渇く(パンの机)
また 世にあって人々に憐れみを捧ぐことに飢え渇く。隣人を愛することは律法を全うするのです。(マタイ5:7)
5、御霊に飢え渇く(金の燭台)
また、世にあって純粋な動機で人々を愛することに飢え渇く(マタイ5:8)
6、とりなし祈り、人々の回復に飢え渇く(金の香壇)
また、世にあって人々に平安をもたらすことに飢え渇く(マタイ5:9)
7、主を純粋に愛し、主と一つとなることに飢え渇く(契約の箱)
また、世にあって自分が注ぎの供え物となりいのち(血)を注ぎ出すことを受け入れる。ここで大祭司は血を注ぐのです。(マタイ5:9)
■A:考えてみよう
飢え渇きをもって今の位置より先に進む。
■P:祈り
主よ。あなたが十字架を成し遂げられたときに「私は渇く」と言われたように、私も飢え渇いて御心の道を歩む者、自分の十字架を完了する者とならせてくださることを感謝いたします。
あなたが与えてくださった飢え渇きをあなたに向け続けることができますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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