■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書14章27節
★自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。
同35節b
★聞く耳のある者は聞きなさい。
■O:今日のコラム
ルカ14章25節から、イエス様は共に歩いていた群衆に向かって弟子についての話を始めます。そして話の最後に、「聞く耳のある者は聞きなさい。」と言われました。
私たちが群衆から弟子へと成長していくためには、聞く耳を持つことがとても大切です。群衆はイエス様の話を聞いていました。しかし、イエス様は聞いている彼らに「聞く耳のある者は聞きなさい。」と言われました。つまり、ただ音として聞くだけでは弟子として歩むことはできないということです。なぜならイエス様のことばは霊だからです。
「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」(ヨハネ6:63)
「イエスは群衆を呼び寄せて言われた。『聞いて悟りなさい。』」(マタイ15:10)
表面上ではなく、霊の領域で私たちはイエス様のことばを聞き、それを行っていかなければならないのです。弟子とは、師のように歩む者です。弟子はイエス様が歩まれたその道を歩む者ということです。
「わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのままに話しているのです。」(ヨハネ12:50)
「そこで、イエスは彼らに答えて言われた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。』」(ヨハネ5:19)
イエス様は父から言われたことだけを行いました。自分自身を捨てて、父の心を悟ってそれだけを行うことが弟子の歩みです。正しく聞くことができず、父の心ではないものに自分自身を捨てて歩むことは、不法をなす者どもの歩みになってしまうのです。
では、私たちはどうしたら正しく聞くことができるのでしょうか?
「そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、」(ルカ24:45)
「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。」(エペソ1:17)
父子御霊なる主によって心が開かれて、みことばを悟ることができるように今日も祈り求めていきましょう。
■A:考えてみよう
私たちは本当にイエス様のことばを聞いて行っているでしょうか?聖霊様を歓迎し、私たちの心と耳が開かれ、霊でありいのちであるイエス様のことばを正しく聞いて悟り、行うことができるように祈ってまいりましょう。
この惑わしの時代の中にあって、揺り動かしが起こっています。その中にあっても、私たちは主の臨在に留まり、みことばを正しく聞いて従い、私たち、そして教会は勝利していきましょう。
「イエスは群衆を呼び寄せて言われた。『聞いて悟りなさい。』」(マタイ15:10)
■P:祈り
主よ。今日もあなたのみことばが与えられていることを感謝いたします。みことばを通して、イエス様の心を悟り、それを行うことができることを感謝いたします。
しかし主よ。自分の肉の力ではイエス様のことばを悟り、行うことができないことを認めます。どうかイエス様の血潮によって心と耳を聖別し、聖霊様が私たちの心と耳の覆いを取り除けてくださり、霊でありいのちであるイエス様のことばを正しく聞いて行うことができますように!
終わりの時代の様々な惑わしの中にあって、私たちがそして教会がイエス様のことばだけに耳を傾けて立ち続けることができますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まこと 】
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