■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書7 章38 節

★泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。

■O:今日のコラム
シャバットシャローム!

自分が行なったことで良い評価を受けたことはありますか? 皆さんはどんなことで高い評価を受けたいですか?自分が納得して行なったことで良いと評価されることは嬉しいことです。まして、尊敬している人、愛している人からの評価や言葉はとても心地よいものです。

イエス様が「良い!」と言って評価してくださることとは何でしょうか?

ここに出て来る女の人は自分のした行動においてイエス様の心を満足させたことがわかります。他の福音書ではこのように評価されています。

「この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」(マタイ26:12~13)

誰がイエス様が死んで埋葬されることに賛成できるでしょうか?大切な人が埋葬されるためにあえて準備をする人を正しいと思いますか?しかし、イエス様は自分の埋葬の準備として香油を注がれた女の人を評価しました。 逆にペテロに向かっては十字架の計画を否定したあまりに「さがれサタン!」とまで言われています。

「この福音」が完成されるためにはイエス様の十字架、死と葬りと復活が欠かせないことがわかります。

イエス様はまだここでは十字架にはかかっていませんから、「この福音」はまだ完成していませんでした。イエス様の福音がなければ私たちは何を誇ることができるでしょうか?イエス様の十字架が私たちの誇りであり、イエス様の流された尊い血潮が私たちの最も力強い証であり、復活が私たちの喜びであるはずです。

この女のしたことの源は、イエス様を愛するがゆえと、もう一つ、自分が罪人であるという砕かれた心ゆえだと思います。彼女についての記述は、「罪深い女」という名称が使われています。どの人から見ても彼女には何かしら律法によって裁かれる罪があったことがわかります。そんな彼女がパリサイ人の家にまで来て、恥をしのんでイエス様に会いに来ました。彼女がどれほどの思いでイエス様に会いに来たのでしょうか。それだけでも勇気のあることだと思います。

しかし、彼女のした行動は、イエス様の心を満足させました。

「泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。」(ルカ7:38)

私たちはあまりにも他人のあれこれに目がとまりすぎていて、イエス様が喜ばれることから外れてしまってはいないでしょうか?イエス様が正しく評価してくださるのは、「私」が主の前にあってどのようであるか?だと思います。

「私は罪人であり、私にはイエス様が必要です」と砕かれた心を持って近づく者たちを、イエス様は絶対にさげすまれることなく、喜んで迎えてくださいます。

■A:考えてみよう
主の前で私はどのように評価されているのだろうか?
イエス様に喜ばれる人はどんな人だろうか?
私たちは絶大な感謝と悔いた心をもって主に近づいているだろうか?

この箇所の後に出て来るたとえの話しでは「赦し」について語られています。自分がどこから赦され救われたのかを知る時に余計に愛する者へと変えられるのです。それは人を赦し、愛する力に変わります。私たちが誰かをとりなす時に必要な力となっていくでしょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あはごん 】

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