■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書6章17節

★それから、イエスは、彼らとともに山を下り、平らな所にお立ちになったが、多くの弟子たちの群れや、ユダヤ全土、エルサレム、さてはツロやシドンの海べから来た大ぜいの民衆がそこにいた。

■O:今日のコラム
マタイの福音書5章~7章は、イエス様が公生涯で最初に語られた、いと高き神の国の生き方についての説教「山上の垂訓」と言われる箇所です。この山上の垂訓については

「この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。」(マタイ5:1)

と記されており、この説教は山の上(天の御国の基準)で語られ、また群衆から弟子になるための教えが語られているのが「山上の垂訓」の特徴です。

ルカの福音書6章はこれとは逆にイエス様が山を下り、平らな所に立って語られており、これを「平地の説教」と呼びます。平地の説教の特徴は群衆も入り混じった状態の中で、弟子たちと群衆に向かってイエス様が語られた内容であり、山上の垂訓のいと高き律法を、この地において行う為に要約した内容となっています。

山上の垂訓が父なる神の心を語り、また御国の民としての高い基準が中心として語られているのに対して、平地の説教は信仰者が自分の魂をどう扱い、また人々に対してどのような姿勢をもって生きるべきかが中心に語られています。

山上の垂訓も平地の説教も結論は同じです。それは「聞いて、行う」ことです。これは初代教会における重要な二本の柱でした。

イエス様の語られた説教、またパウロの書簡や使徒たちの手紙の中でも繰り返し、「聞くこと」と「行うこと」が述べられています。全ての信仰の歩みの出発点は神の言葉を「聞くこと」から始まります。

「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。」(申命記6:4)

「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ローマ10:17)

聞くとはただ音として聴くのではなく、聖書に記されている「聞く」という言葉には「聞き従う」という意味が含まれています。それなので、私たちが神の言葉を聞く時に求められるのは聞き従うこと、すなわち実行することです。

しかし、実際に信仰生活を歩む中で、聞くことと実行することの間には大きな隔たりがあることを感じるようになります。聞いてはいてもなかなか実行出来ないのが私たちです。そこで、その隔たりを埋めるのが祈りです。

「主よ。御言葉には敵を愛することが記されています。しかし、私には難しい関係の人を愛する力がありません。心砕かれ、へりくだり、主に愛する力を求めます。」と主の御前に正直に心を注ぎ出して祈り、また「主よ。聖書には聖潔に生きることが記されています。しかし、この時代の中で聖潔に生きることは非常に困難に感じます。主よ。私に聖さを与え、義の道を歩む力を下さい。」と求める時、主は御言葉を実行する力をも私たちに与えて下さいます。

御言葉を聞いて行うことの重要さを以下の御言葉を黙想して心に覚えましょう。

■A:考えてみよう
以下の御言葉を朗読し黙想しましょう。

「なぜ、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行う人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。」(ルカの福音書6:46~48)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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