■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書5章3節~5節
★イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。
話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。
するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
■O:今日のコラム
ウガンダの国に霊的な大変革をもたらした神の器、ジョン・ムリンデ師の証しです。
かつてウガンダの国は負債、犯罪、エイズ、内戦で荒れ果て、周りの国々の誰もが「もうウガンダは国としては成り立たなくなる。近い将来、崩壊するだろう。」と言うほどでした。そのような状況の時に、師は幻を見せられました。大きな湖に、一人ではとても引きあげられないであろう大きな網をかけ、親しい友人の牧師たちと力を合わせて網を引きあげた時に、「ウガンダ」という国が網にかかっていたという幻でした。
その時から、ムリンデ師は国の人々に祈りの祭壇を個人レベルで建て直すことを教え、すべての地域、すべての領域に祈りの祭壇が建て直されていきました。文字通り「網羅」するように国の中に「とりなす」者たちが起こされていきました。その結果、その国は誰もが驚くような回復を体験し、まさに神の御わざを体験しました。まさに幻で見た「網で国を引き上げる」ということが実現しました。
私たち神の聖徒たちが、国の中のあらゆる領域に遣わされていますが。そのすべての聖徒たちが自分の任されている領域(家族、職場、学校、地域)に祈りの祭壇を建て直すならば、同じようにこの国にも、神の大変革が起こると信じます。
今日の箇所において、シモンが夜通し漁をした時には、一匹もとれませんでしたが、イエス様に言われた通りに再度、網をおろすと、今度は大漁でした。
この違いはなんだったのでしょうか?
それはとてもシンプルで明白ですね。始めはイエス様が舟には共におられませんでしたが、二度目はイエス様が舟に共におられました。
先月、日本でセミナーをひらいて下さったアテフ先生は、とりなしの教えの中でヨハネ17章のイエス様の祈りについて語られました。私たちがとりなす時には、イエス様のとりなしの祈りの中に入って、イエス様と共に御父の御心を祈る必要があると教えて下さいました。
私たちも王である祭司として、現在、とりなし祈ることを通して互いの周りに城壁を建てることに取り組んでいます。また祈りの祭壇を建て直すことによって、網でこの国を引きあげる使命があります。
けれども、私たちは常に自分の祈りが主の御心から離れていないかを吟味する必要があります。「とりなしの祈り」といって、イエス様抜きに、御父の御心抜きに自分の熱心さだけが暴走していないか、自分の計画が中心に来ていないかを吟味する必要があります。
イエス様が共に舟におられなければ、網を投げたとしても何一つとれないことを、今日のシモンが教えてくれています。
5歳の子どもが政治に関心がないのと同じように、イエス様を信じて日が浅い人は、まだ自分の必要や自分の願いが優先であることは仕方のないことです。けれども、もし自分が霊的に成長している霊的な成人と思うのであれば、私たちはイエス様のとりなしに参加するものとなりたいと願います。イエス様が御父の御心だけを願い祈り求めたように、「私の思いでなく、御父の御心、ご計画がなりますように。」と祈る者になっていきたいと願います。
イエス様のとりなしの祈りに加えられる者となっていきましょう。とりなしの祈りの香が、さらに力強く日本から主の御前に立ち上ることを御名により宣言します。
■A:考えてみよう
私のとりなしは、イエス様のとりなしの中にあるだろうか?自分の思いが中心だろうか?
■P:祈り
愛する主よ、今日もあなたの御前に出て祈ることの出来るこの恵みを感謝します。イエス様が、ただただ御父の御心を祈られた、あの涙のとりなしに私も加えてください。たとえそれが自分の願いと反することであったとしても、もしそこに御心があると知ったなら、それに従い、そのようになることを祈る、霊的な成人へと私を成長させてください。
聖霊様、あなたが今日も必要です。キリストのことばを私の内に思い起こさせ、御父の愛をさらに深く悟らせてください。
聖霊様、あなたを愛します。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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