■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書9章46~48節
★さて、弟子たちの間に、自分たちの中で、だれが一番偉いかという議論が持ち上がった。
しかしイエスは、彼らの心の中の考えを知っておられて、ひとりの子どもの手を取り、自分のそばに立たせ、
彼らに言われた。「だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れる者です。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れる者です。あなたがたすべての中で一番小さい者が一番偉いのです。」
■O:今日のコラム
弟子たちの中で、良くこの論議が持ち上がります。誰が一番偉いのか?です。
私たち神の家族の中でも、未熟な時にはそんな競争があるものです。誰が最も聖書の知識があるのか?誰が最も信仰が強いのか?「あの人よりも私の方が上だ」と高ぶり、「あの人の方が私より用いられている」と落ち込む。しかし、人と比べることは愚かなことである、と聖書は語っています。
むしろ人から小さく見られるような人を、神を愛するゆえに尊重し敬意を払うべきです。自分が人に大きく見られたいと願うのは世の価値観です。私たちは神の目に立派に見られる者になるべきです。自分をへりくだらせて、神を見上げ、また人を見下さない者となりましょう。
「また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。」(1コリ12:23~24)
自分を人に大きく見せる必要はありません。これはとても疲れます。もちろんわざと小さく見せる必要もありません。神の目に立派な者と見られるように生きるべきです。そして人にも誠意を示すべきです。全ての人が理解しなかったとしてもです。人を軽く見るべきではありません。
ダビデも神を愛するがゆえに、ミカルからは格好悪く見え、見下されました。しかしダビデは神に尊ばれ、また神を愛する者に理解されていたらそれで良い、と告白しています。
■A:考えてみよう
人と比べて自分が上か?下か?という価値観を捨てましょう。そして神の目に立派な者、喜ばれる者となることを切に願い求めましょう。
「そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。」(2コリ5:9)
神に喜ばれることを願って、人々を尊重し敬意を持つ生き方を学びましょう。
■P:祈り
「私たちは、自己推薦をしているような人たちの中のだれかと自分を同列に置いたり、比較したりしようなどとは思いません。しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです。」(2コリ10:12)
「そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。」(2コリ5:9)
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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