■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書4章18~22節

★「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」
イエスは書を巻き、係の者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。
イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」
みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。…

■O:今日のコラム
ある朝、目覚めた時に、「あなたは終わりまで歩み、休みに入れ」という言葉を聞いて目覚めました。それはダニエル書の一番最後の聖句の言葉でした。私は、あまりにもはっきりと語られた言葉に驚きながら、「はい。わかりました。」と短く答えました。

その前日はイスラエルでは神殿崩壊日にあたる日でした。神殿崩壊日(ティシャ・ベアヴ)とは、紀元前586年のこの日にバビロンによってエルサレムの神殿が破壊され、また、その後に建てられた第二神殿も紀元70年のこの日にローマによって破壊されました。毎年この日、エルサレムでは、嘆きの壁に何千という人がやってきて、神殿崩壊を嘆き、祈りを捧げます。

私はこの日に、祈りの家に行き、このようなイスラエルの苦難の歴史を心に覚えながら、いまだ主の神殿、御住まいが崩れたままである主の深い悲しみと痛みを心に抱き、悔い改め祈る時を持ちました。

まず、私の内にある、神様に喜ばれない敵の祭壇、偶像が打ち壊され、跡形もなく崩れ、消え去るように。そして、私のたましいに城壁が建てられ、神の祭壇が建てられるように。主の御住まいが回復し、私の中にキリストが形造られますようにと祈りました。そして、聖徒たちの内に、教会に、イスラエルに、まことの神殿、主の王座が建てられますように。と真剣に祈りました。この神殿崩壊日に、私は主の霊によって奮い立たされ、「主の神殿、主の御住まいが我が内に、教会に、イスラエルに回復するために、私の人生を主にお捧げします!」と祈る、再献身の恵みの時となりました。

その翌朝に主から語られたメッセージが冒頭に述べた、「あなたは終わりまで歩み、休みに入れ」でした。「終わりまで歩み」とは、最後まで信仰のレースを走り抜くこと、最後まであきらめることなく、主の使命に立ち続けることであると受け取りました。すなわちそれは、完成を目指す回復の旅路です。主は回復された聖徒たち、回復された教会を通して、神の御国を現されたいのです。

私は福音書を読む中で、自分がどのようにしてイエス様がされたことと同じことを行うことができるのだろうかと葛藤を覚えます。いまだ罪の性質があり、肉の思いに支配されている私がそのような偉大な業を成し得ることができるのだろうか。いかにして私がキリストの香りを放つことができるのだろうか。未信者に、この世の人との違いをどのように示すことができるのだろうか。神の御国を運ぶ務めをどのようにして果すことができるのだろうか…、と。

神の御国のメッセージを、影響力をもって伝えることは重要です。しかし神の御国の福音には、重要な原則があることを覚えます。今日の箇所から見ていきましょう。

「イエスは書を巻き、係りの者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。イエスは人々にこう言って話し始められた。『きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。』 みなイエスをほめ(別訳:証言する、確認する)、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。…」(ルカ4:20~22)

ここから読み取れるのは、神の御国はイエス様ご自身を通して伝えられたということです。イエス様が会堂に入り、イザヤ書の朗読をされると、会堂にいるみなの【目】がイエス様に注がれ、彼らはイエス様を実際に目で【見る】ことによって、彼らが聞いてきた聖書のメッセージを【確認】しました。

人々は神の国の福音を、【聞き】、そして【見た】のです。イエス様ご自身が神の御国の現れでした。このように、主は、御国のメッセージが聞こえるくらい、見ることができるように願っておられることを覚えます。

贖われた私たちは、イエス様の御体となりました。信じる者の人生を通して、主ご自身が現されていくことは神様の願いです。私たちは、キリストが歩まれたように歩み、神の御国を現していかなければなりません。それは、私たちの中にキリストの形造られていくことを通して実現していきます。しかしながら、これはインスタントで出来るものではなく、赤ちゃんが成人へと成長していくのに長い年月を要するように、とても時間がかかることです。

今一度覚えたいのは、聖書の壮大なテーマは「回復」であるということです。聖書は繰り返し、主の宮の回復、城壁の再建について語られています。なぜでしょうか。主は私たちと共に住まいたいのです。神である主と人とが親しく、顔と顔を合わせながら歩んでいた、エデンの園を回復させたいのです。

鼻から息を吹きかけるという状態は、顔と顔が向き合って対面した状態であり、また、口づけしている状態でもあります。また、「園」というヘブル語は「ガン」で、それはフェンスに囲まれた地境という意味です。エデンの園は、城壁で囲まれた城のようなものだったのです。神である主と人とが親しく、顔と顔を合わせながら歩んでいたエデンの園を、主は回復させたいのです。

私たちが主の宮の建設に取り組むことは、エルサレムの回復に繋がります。そして、それはエデンの園の回復へと繋がっていきます。

「どうか、ご恩寵により、シオンにいつくしみを施し、エルサレムの城壁を築いて下さい。」(詩篇51:18)

日々の悔い改め、内なる神殿建設。これらは贖われた者の責任であると信じます。救われて完成ではないのです。救われてから回復が始まっていくのです。エズラ記において、祭司たち、レビ人たち、その他、神によって奮い立たされた者たちがエルサレムにある主の宮を建て直すために立ち上がったように、贖われた私たちも主の霊によって奮い立ち、まことの神殿、主の御住まいを建て直すために立ち上がり、この人生を捧げようではありませんか。

「あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。」(エズラ1:3)

■A:考えてみよう
私たちの内なる宮が建て直されるとき、私たちが主の御住まいとなるだけでなく、そこに人々が引き寄せられ、集められてくると信じます。主の霊によって奮い立ち、主の油注ぎを受けて、主の宮を建て直すためにこの人生を捧げてまいりましょう。

イエスの血潮を宣言する祈りP30,31,32「私の古い人のたましいの都市」「私の新しい人のたましいの都市」の宣言文を宣言し、この時代に主の御住まいが回復するために祈りましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひさえ 】

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