■S:今日の聖書の言葉
ルカによる福音書2章51節

★それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。

■O:今日のコラム
「これらのこと」の直訳は「これらの言葉」です。それを聞いたのは両親ですが、心に留めたのはマリヤだけでした。これが御言葉の種を受け取り、身ごもって生み出す者の信仰の姿勢であることを強調するかのようです。同じルカ2章の中にこうもありました。

「しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。」(ルカ2:19)

ここの「これらのこと」も直訳は「これらの言葉」です。ここでは、直接主が語られたのではありませんでしたが、羊飼いたちが御使いから告げられた言葉をマリヤが聞き、思い巡らしていたのです。

御言葉を聞いたならそれを何かに書き留めましょう。そうしないと私たちは実行する前に忘れてしまうことがあるからです。2日前のお昼に食べた物を覚えているでしょうか?霊的な糧も食べた物を忘れるならもったいないことです。実行すべく握りましょう。

きよい動物が聖書に出てきますが、その特徴はひづめが分かれていること(歩みが聖別されたものであること)と反芻することが条件です。反芻とは食べたものを何度も腹の奥に降らせる前に、そのプロセスとして行き来させることです。同じように私たちが語られた御言葉を栄養にし、自分の身につけるには何度も口ずさみ、思い巡らすことが重要です。

「神は、一度告げられた。二度、私はそれを聞いた。力は、神のものであることを。」(詩篇62:11)

口ずさみ、思い巡らす時、御霊の力がそこに働きはじめ、聞いた御言葉が自分の信仰に結びつき始めます。自分の心にそのことに関する信仰が与えられ、その信仰をもって告白する御言葉には自分の外の環境や状況を変える力があるのです。

その御言葉を口ずさみ、思い巡らしているからこそ、その成就を見たいという渇望が与えられるのです。その飢え渇きを持つ者、義に飢え乾く者は幸いです。御霊によって満たされていくからです。

ネヘミヤ記9:15には「(主は)彼らが渇いたときには、岩から水を出し」とありますが、「渇く」というヘブル語はツァマであり、そのスペルから「神の義と真理の水に飢え渇く」というニュアンスであることが分かります。

御霊によって与えられる潤いは、さらなる飢え渇き、もっと神を愛したいという情熱を私たちに与えるものなのです。

■A:考えてみよう
そのために自分に語られた御言葉を反芻しましょう。何か自分できっかけを作ることをおすすめいたします。きっかけがないとスルーしてしまいやすいのです。私は電車やバスに乗ることを、そのスイッチにしています。

■P:祈り

幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。(詩篇1:1~3)

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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