■S:今日の聖書の言葉
歴代誌第二29章11節
★子たちよ。今は、手をこまねいていてはなりません。主はあなたがたを選んでご自分の前に立たせ、ご自分に仕えさせ、ご自分のために、仕える者、香をたく者とされたからです。
■O:今日のコラム
「彼はその治世の第一年の第一の月に主の宮の戸を開き、これを修理した。」(2歴代誌29:3)
ヒゼキヤは王となったとき、初めに主の宮の戸を開き、これを修理しました。ここで、主の戸を開くことは何を意味しているのでしょうか?
続く7節を見てみると、彼の父たちの時代には、玄関の戸を閉じ、ともしびの火を消し、聖所で香をたかず、全焼のいけにえをささげることをしなかった、書いてあります。そうであるならば、反対に、主の戸を開くことは、ともしびの火をともし、聖所で香をたき、全焼のいけにえを捧げることだということが分かると思います。
宮に、ともしびなるみことばがあり、祈りと捧げもの、つまり礼拝が立ち上ることが、ヒゼキヤの時代に回復されました。彼は、形や繁栄ではなく、主への礼拝そのものが第一とされるべきものであることを悟っていたのです。
私たちも王である祭司としての召しに生きていますが、そうであるならば、この務めを任せられていることを覚えます。王として権威を持ち、まず自分という主の宮の戸をあけ、祭司として、主に礼拝を捧げ続けていく者でありたいと願います。
戸を開くことを思う時に、中高生時代の自分と神様との出会いをいつも思い出します。クリスチャンホームで育った私は、劇的に変えられることにあこがれを持っていました。「神様は好きだし、祈るのも賛美も大好き。困った時助けてくれる。でもそれが当たり前で、いつになったら私とはっきり出会ってくれるんだろう?ノンクリスチャンからクリスチャンになったほうが分かりやすいのになー。」と思い、いつか何かのキャンプがきっかけで変わる、周りにユースが与えられたら変えられる等、外側の環境や経験が自分を変えてくれるものだと思っていました。しかしその当時に与えられたのが、このみことばでした。
「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(黙示録3:20)
誰か、何かを通してでなく、私が気づいていないだけで、毎日毎日神様は直接戸をたたいてくださったことを示されました。そして悔い改めに導かれ、神様ご自身に自らつながることを決心しました。今まで神様に連なっていたようで、両親や教会を通して繋がっていた自分にも気づかされました。そして、毎日私の生活の中に、習慣だけではなくて、自ら時間を割き、みことばを読み、祈る生活が始まりました。
そのようにこの御言葉を受け取ってから、感情や経験を通して出会うことから始まり、それらを超えて、祈りとみことばの中で主と交わることを教えられ、内側に確かに神様がおられる喜びを知りました。そして、出会い続けることの深みを今に至るまで教え続けてくださっている聖霊様に感謝いたします。
戸を開けるから主が入ってくださり、交わる中で、私たちの内に造り変えを与えてくださいます。戸を開けるならば、主ご自身の言葉が内に蓄えられ、内から絶えず、刺し通された自分という捧げものが、内におられる主の祈りが溢れ、立ち上っていくのです。
私たちは、主の前に立ち、主のために仕え、主のために香をたく者です。それは自分のためではないのです。ですから、主が内に住まわって下さらなければ、義なる方がおられなければ、人の基準、自分の感情を満たす捧げものへと変わっていき、主の御前にかぐわしい香りではなくなってしまうことを覚えます。
「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。」(エペソ5:1~2)
神の言葉の住まいとなり、言葉に貫かれ、言葉と一つとなった者がささげる祈り、礼拝を愛する神様が喜んでくださることを感謝いたします。
■A:考えてみよう
私の戸は、開かれているだろうか、私のうちから、主への礼拝、捧げものが立ち上っているでしょうか。
今日の箇所には、手をこまねいてはならないとありますが、注釈を見ると休んでいてはならないと記されていました。全てを成し遂げてくださった方が休むことなく、まどろむこともなく、今もなおしてくださっているのはとりなしです。このことを思う時に胸が熱くなります。
そうであるならば、私たちも生活の必要やたくさんの考えやらなければならないことはたくさんありますが、手をこまねいている場合ではないことを覚えます。
キリストと同じようになりたいと願う私たちは、たとい倒れ、間違ってしまうことがあったとしても、逃げたくなることがあっても、やめてしまうことなく、内に主のみことばを蓄え、主に自分自身を捧げ続け、祈りと賛美を今日も捧げていきましょう。
神様ご自身にお仕えさせていただく、この毎日の務めを心から感謝いたします。
■P:祈り
愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ゆうこ 】
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