■S:今日の聖書の言葉
歴代誌第二24章17節
★エホヤダが死んで後、ユダのつかさたちが来て、王を伏し拝んだ。それで、王は彼らの言うことを聞き入れた。
■O:今日のコラム
今日の箇所ではヨアシュ王が出てきますが、彼は祭司エボヤダが生きている間は神の御心にかなう王でした。
「ヨアシュは、祭司エホヤダの生きている間は、主の目にかなうことを行った。」(第二歴代誌24:2)
また彼は、アタルヤが打ち壊した神の宮を新しくすることを志しました。
「その後のことであるが、ヨアシュは主の宮を新しくすることを志し、…というのは、あの悪女アタルヤ、その子たちが、神の宮を打ちこわし、主の宮の聖なるものをすべてバアルのために用いたからである。」(第二歴代誌24:4,7)
この神の宮はヨアシュ王の命令によって修復され、より堅固にされました。また一切の宮の器具が再度作られ、何よりも絶えずいけにえが主に捧げられるようになりました。
しかしヨアシュ王は急速に神から離れ、アシェラ像を拝むようになってしまいます。これほど熱心で神の心にかなっていたヨアシュ王が、なぜ急速に神から離れてしまったのでしょうか。
1つ目の理由は、明らかに祭司エボヤダの死です。
エボヤダはヨアシュ王にとって霊的な父でした。そしてエボヤダは祭司ですから、王に対して御言葉を教えていたことでしょう。彼を失ったことは、ヨアシュ王にとって道を示す人がいなくなったことを意味します。
2つ目の理由は、高ぶりです。
「エボヤダが死んで後、ユダのつかさたちが来て、王を伏し拝んだ。それで、王は彼らの言うことを聞き入れた。」(第二歴代誌24:17)
このユダのつかさたちという人々は、神の御心に反した王の一人であるアハズヤに仕える人々でした(第二歴代誌22:8参照)。そのつかさたちに拝まれたことで、彼の内側で自分が立ってしまい、高ぶりが内側を治めてしまいました。
そして3つ目の理由は、異なる教えに耳を開いたことです。
ヨアシュ王は祭司エボヤダから渡されたさとしの書ではなく、偶像に仕える者たちの言葉に対して耳を開いてしまいました。これは人生で最もしてはならないことでしたが、結果的にヨアシュ王は御言葉から離れてしまいました。
何度も主が預言者たちを遣わして、主に立ち返らせようとしても、耳を貸すことはありませんでした。また高ぶりがあると、御言葉を聞けなくなってしまいます。
「主は、彼らを主に立ち返らせようと預言者たちを彼らの中に遣わし、預言者たちは彼らを戒めたが、彼らは耳を貸さなかった。」(第二歴代誌24:19)
「違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人がいるなら、その人は高慢になっており、何一つ悟らず、疑いをかけたり、ことばの争いをしたりする病気にかかっているのです。そこから、ねたみ、争い、そしり、悪意の疑りが生じ、」(第一テモテ6:3~4)
これらの理由から、自ら志しをもって再建した神の宮をいとも簡単に捨てて、偶像礼拝者になってしまいました。終いには、エボヤダの息子セガリヤをも殺してしまいます。
列王記や歴代誌に出てくる王たちの人生は、決してただの過去の人物の話しではなく、私たちへの教訓です。
「昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。」(ローマ15:4)
■A:考えてみよう
イエス様だけが私たちにとって、唯一の真の大祭司であり、大牧者なる方です。この方と私たちは関係を持つことができ、真実な交わりを通して一つになるように召されています。
それと同時にこの地上の歩みにおいて、霊的な父を持つことは大切なことです。例を挙げるならば、御言葉をもって導く牧師先生の下で、教会に植わることです。それは私たちを守ることになります。そのような歩みを選ぶことができているでしょうか?
また高ぶりは私たちの中にあり、私たちの敵ですが、そのことにおいて毎日死ぬことを主にあって選ぶことができているでしょうか?
そして何よりも重要な御言葉を聞くこと、御言葉から離れないことを選ぶことができているでしょうか?
ぜひ今一度主の御前に進んで、導かれるならば静かな時を持ち、心を主に探っていただきましょう。そして祈りの中で、今日も主とともに死に、ともに生きること、また御言葉だけを聞く耳を求めましょう。
■P:祈り
今日も主の愛と恵みが十分に注がれていることを感謝します!イエス様、あなただけが唯一の道であり、真理であり、命です。
あなたはいつも私に語りかけ、いつも道を示してくださっていますが、それに耳を貸さない、自分を優先する偶像礼拝者である私を赦してください。あわれんでください。
どんなに良いことを行っても、私は次の瞬間には悪に向かおうとする弱い者であることを認めます。ですから今日も方向転換させてくださって、主にあって自分を否定し、あなたの道を歩む者へとさらに造り変えてください。
命が尽きるまであなたの御言葉を聞き、それに従うしもべになりたいと願いますから、聞き続ける耳を与えてください。
愛する主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 たくみ 】
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