■S:今日の聖書の言葉
歴代誌第二17章3~4節

★主はヨシャパテとともにおられた。彼がその先祖ダビデの最初の道に歩んで、バアルに求めず、その父の神に求め、その命令に従って歩み、イスラエルのしわざにならわなかったからである。

■O:今日のコラム
イスラエルの王アハブはユダの王ヨシャパテを誘い、一緒にラモテ・ギルアデを攻め上らせようとします。預言者ミカヤによって、「ラモテ・ギルアデとの戦いに出ていくならば、敗北するであろう」という意味の預言を聞いた後に、アハブ王はヨシャパテにこう言いました。「私は変装して行きますが、あなただけ王の服を来て戦いに行ってください。」

このように言われたら、恐らく、大抵の人は「いやいや、そうしたら100%私だけ狙われるじゃないですか。私も変装するか、あなたも一緒に王の服を着て戦いに出てくださいよ。っていうか、ラモテ・ギルアデ攻めるの、やめませんか?」と突っ込むでしょう。

ところが、そういった論じ合いは記されてはおらず、今日の箇所を読む限りでは、ヨシャパテはいともあっさりそれを受け入れ、王の服を来て戦いに出て行ったように見受けられます。

この出来事を見ると、一見、ヨシャパテ王はとんでもないお人好しで、王様のくせにもしかして頭悪い?と思ってしまいます。けれども、彼は実は知恵のある王でした。どこにその知恵を見ることができるでしょうか?

「主はヨシャパテとともにおられた。彼がその先祖ダビデの最初の道に歩んで、バアルに求めず、その父の神に求め、その命令に従って歩み、イスラエルのしわざにならわなかったからである。
そこで、主は、王国を彼の手によって確立された。ユダの人々はみなヨシャパテに贈り物をささげた。彼には、富と誉れが豊かに与えられた。
彼の心は主の道にいよいよ励み、彼はさらに、高き所とアシェラ像をユダから取り除いた。」(第二歴代誌17:3~6)

「また、彼らとともにレビ人も同行した。すなわち、シェマヤ、ネタヌヤ、ゼバデヤ、アサエル、シェミラモテ、ヨナタン、アドニヤ、トビヤ、トブ・アドニヤなどのレビ人である。それから、彼らとともにエリシャマ、ヨラムなどの祭司も同行した。
彼らはユダで教えた。すなわち、主の律法の書を携えて行き、ユダのすべての町々を巡回して、民の間で教えた。」(第二歴代誌17:8,9)

ヨシャパテは「神を求め、その命令に従って」歩む者でした。また、彼はレビ人たちや祭司たちに命じて、ユダの町々を巡回して民に神の律法、戒めを教えるようにさせました。ヨシャパテ王自身が、「神を知りたい」と主を尋ね求める者であり、主を恐れ、また神の命令に従う者でした。神の律法を民に教え、神の戒めを尊ぶように教えたのでした。

神を尋ね求めるヨシャパテに対して、主はこたえてくださり、主が彼とともにおられました。また、ユダの民が神の戒めを知りそれを守ったので、主はユダの王国の周りに彼らに対する恐れを生じさせ、誰一人ヨシャパテに戦いをしかける者はなかったと、書かれています。さらには、周りの人々から贈り物やみつぎを受けるようになり、「ヨシャパテはしだいに並はずれて強大に」(第二歴代誌17:10)なりました。

18章ではアハブ王にそそのかされて、ラモテ・ギルアデに攻め上ってしまいますが、その時も主はヨシャパテを危機一髪で救われました。

もしヨシャパテに高ぶりがあったなら、彼は神を求めることをしなかったでしょう。また、民に神の戒めを教え、それを尊ぶようにと教えることはしなかったでしょう。けれども、ヨシャパテは「私は愚かで弱い者です。ですから、主よ、私にはあなたが必要です。私と私の民にはあなたの御教えが必要です。」という心を持っていました。

「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。」(箴言1:7)

箴言に書かれている通り、自分が愚かで弱い者であることを知り、「だからこそ主よ、あなたが必要です」と主を尋ね求める者こそ、知恵であり、力であることを、ヨシャパテが教えてくれています。

「ところが、ヨシャパテは、『ここには、私たちがみこころを求めることのできる主の預言者がほかにいないのですか』と言った。」(第二歴代誌18:6)

また、ヨシャパテはアハブ王が集めた400人の預言者たちの中に、「真実に神のことばを告げる預言者がいない」と見分けることができました。それはなぜでしょうか?それは彼がいつも、神を探り求め、みことばを尊んでいたからだと信じます。いつも真実な神のみことばに触れていたので、真実でないものを見分けることができました。

また、彼は自分のうちにある偶像を徹底的に取り除きました。

「彼の心は主の道にいよいよ励み、彼はさらに、高き所とアシェラ像をユダから取り除いた。」(第二歴代誌17:6)

彼の内にきよさがあったので、神に属さないもの、偽りを見分けることができました。

私たちは、偽預言者や惑わしの多い終わりの時代に生かされています。400人もの預言者が偽りの霊によって語ったように、多くの人が「真実だ」というからといって、それが真実とは限りません。多くの人に人気があるからといって、それが真実だとは限りません。聖徒たち一人ひとりがみことばを心に刻み、真理なるみことばと、きよさをもって見分けていかなければならない時代に生かされています。

是非、ともに、「主を恐れ、主を尋ね求め、みことばを尊ぶ」という知恵ある者となっていきましょう。また、ますますきよめられることを求めていきましょう。

■A:考えてみよう
自分は知恵があるだろうか?愚かだろうか?私はどれだけ、主を必要としているだろうか?どれだけ、きよさを愛しているだろうか?

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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