■S:今日の聖書の言葉
歴代誌第二9章7節
★なんとしあわせなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんとしあわせなことでしょう。いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことのできるこの、あなたの家来たちは。
■O:今日のコラム
今日の箇所は、シェバの女王が、ソロモンの知恵を伝え聞き、ためしにやってきて言った言葉です。彼女は「なんとしあわせなことでしょう」と2回も繰り返しています。誰に対してでしょうか。それは、「あなたにつく人たち」「いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことのできる家来たち」にです。
ソロモンは、イエス様の雛形として書かれています。また、彼の知恵は、彼が王となった時に祈り求め、主ご自身から与えられたものです(第2歴代誌1:7~12参照)。すなわち、イエス様につく人たち、いつも主の言葉を聞くことのできる者たちは、なんとしあわせなことでしょうか。
皆さんは、今、しあわせですか。それはなぜでしょうか。私たちのしあわせは、何でしょうか。経済が満たされること、健康、家族の救い、働きが認められたり、成功すること、結婚生活…など、私たちのしあわせが、人や物、起こる状況にあるならば、このしあわせは、満たされなければ感じることは出来ません。また、多くのものは一時的であり、長くは続かないでしょう。
しかし、永遠に続くしあわせがあります。それは、イエス様ご自身です。私たちのしあわせは、この地上の人や物、状況にあるのではなく、イエス様ご自身にあります。
そう言いながらも、私自身は、そう思えない時がたくさんありました。特に、祈りの家で仕え続ける中で、何度も葛藤し、涙の谷を通るような時を味わいました。しかし、その時こそ、主への飢え渇きはより一層増し、主への信頼が強められました。そして、私自身の幸いが主ご自身にあること、私が求めるのはイエス様だけだとはっきりと悟り、賛美を通して告白するようになったのです。
その時に与えられた御言葉は、
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。」(詩篇119:71~72)
また、ダビデも、このように言っています。
「私は、主に申し上げました。『あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。』」(詩篇16:2)
世の中では、苦しみにあうことがしあわせとは言えないでしょう。しかし、苦しみを通して、主の言葉を学ぶこと、主の言葉を聞くことができる…それがしあわせなのです。
今日も私の幸いは、イエス様、あなたにあります!そのように歩む一日となりますように!
■A:考えてみよう
私自身のしあわせを人や物、状況に置いていないだろうか。私の幸いは、イエス様ご自身のほかにありません…その告白があるだろうか。飢え渇きがあるだろうか。
今日、自分の必要、あらゆる祈り課題を祈る前に、パウロが常に祈った祈りをもって主ご自身を求めていきましょう。まず、人の言葉や自分の言葉、知恵に頼るのではなく、主の言葉、知恵を聞くことを選び取りましょう。
「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。(エペソ1:17)
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ささまな 】
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