■S:今日の聖書の言葉
歴代誌第二3章1節
★こうして、ソロモンは、主がその父ダビデにご自身を現された所、すなわちエルサレムのモリヤ山上で主の家の建設に取りかかった。彼はそのため、エブス人オルナンの打ち場にある、ダビデの指定した所に、場所を定めた。
■O:今日のコラム
皆さんは、今の住まいをどのようにして決めましたか?駅からの近さでしょうか?コンビニの近くでしょうか?職場の近く、海が好きだから海の近く…。様々な理由があると思います。
今日の聖書の箇所から、ダビデの願いだった神殿が息子ソロモンによって実際に建て上げられていきます。つまり、神の家の建築がスタートしていきます。
私たちの住む家ですら、何かの理由があってその場所を選んだのであれば、神様はどのような理由で神ご自身の家をお選びになったのでしょうか。その場所とは「エルサレムのモリヤの山上」、「エブス人オルナンの打ち場のダビデの指定した場所」と書かれています。
エルサレムのモリヤの山上では何がなされたでしょうか。
「神は仰せられた。『あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。』」(創世記22:2)
そうです。神様がアブラハムが「イサクを捧なさい」と言われた場所です。
それでは、エブス人オルナンの打ち場と何でしょうか。オルナンという人物は第二サムエル24:16に出てくるアラウナと同じ人物です。オルナンは「永久に輝く光」、アラウナは「あなたを輝かせる」という意味です。
ダビデは自分が人口調査のことで罪を犯した際、国中に疫病の裁きが下った。その裁きをしていた抜き身の剣を持った御使いが立っていたのがオルナンの打ち場です。そして、ダビデはオルナンの土地をくださいというと、オルナンはこのように答えました。
「オルナンはダビデに言った。『王さま。どうぞ、お取りになってお気に召すようになさってください。ご覧ください。私は、全焼のいけにえのための牛、たきぎにできる打穀機、穀物のささげ物のための小麦を差し上げます。すべてを差し上げます。』」(2歴代誌23:23)
アブラハムとオルナンに共通するものは何でしょうか。それは、従順と犠牲です。この従順と犠牲の上に神殿は建てられていきます。この従順と犠牲を最も顕著に表した方はイエス様です。
「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」(ピリピ2:6~8)
第一コリント3:17には、私たちが神殿だと書かれています。この神殿は自分勝手に好きなところに建設されてはいけません。神様がご指定される場所があります。
「あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。」(エペソ2:20)
私たちが神殿であるなら、イエス様を礎石として建てられる必要があります。
■A:考えてみよう
自分勝手に選んだ場所に神の神殿を建てていないだろうか?神様の事は神様の方法に従って進めていかなければなりません。そこには従順と犠牲が伴います。
次のことを自分の心に問うてみてください。
・私は常に真実を語っただろうか。
・私は欲深くなかったか。
・私は他の人が持っているものを欲しがって、その人をうらやましく思わなかったか。
・私の異性への関わりは神のご支配のもとにあったか。
・私は自分の結婚を清く聖なるものとして守ってきたか(私の思いの中ででも)
・私は周囲のモラルの低下を大目に見ていないなかったか。
・私は父なる神、主イエス様と聖霊様への冒涜に対して傍観していなかったか。
・私は神や人々、例えば両親やその他権威ある人々に対して反抗的ではなかったか。
・私は他人を非難し、不和と憎しみと苦々しい思いの内に生きていないか。
・私が人を赦さないために、私を赦そうとされる神様の御心を妨げていないか。
・私は人の噂話や中傷をしていなかったか。
・私は人を不正に利用し、それが何であれ害を与えたりしなかったか。
・私は神様から預かった賜物(金銭、健康、時間)の良き管理者か。
・私は人に頼りすぎていないか。彼らに執着していないか。
・私は言動を気にするあまり、必要な時に罪を罪と呼ばず、彼らとの時間の関わりを絶つことをためらっていないか。
悔い改めるべきことは罪を素直に認め、主の御前に進み出て告白し、悔い改めましょう。キリストの土台の上に正しく賢く神殿が建てられる時、とりなしの城壁が正しく機能していくと信じます。
■P:祈り
いつも私を愛して下さる天のお父さん、あなたの愛を今日も受け取れることを感謝します。私は今までみことばを読み、祈っていましたが、それが神様が指定されていないところに神殿を建てあげようとしていた過ちを認め、悔い改めます。
私は「神様のため」と言いながらも、実際は自分自身のために神殿を建てていました。どこまでも自分勝手で愚かな私を赦してください。今日、みことばを通して、従順と犠牲の上に神の神殿が建てられていくことを教えられました。ですから、今日からこの場所に神殿を築き上げていきます。イエス様が十字架の死にまで従い、全てを捧げられたように、私もみことばに従順になって、本当に全てをイエス様のために捧げる生き方をさせてください。
愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。
【 しゅん 】
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