■S:今日の聖書の言葉
第一歴代誌22章7節

★ダビデはソロモンに言った。「わが子よ。私は、わが神、主の御名のために宮を建てようとする志を持ち続けてきた。

■O:今日のコラム
ダビデは主の御名のために宮を建てようとの志を持ちました。それは主がダビデ王に、周囲の敵をことごとく打ち退けて、安息を賜ったときのことでした(第二サムエル記7章参照)。ダビデは自分が立派な杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中にとどまっているのを見て、神殿を建てようとの志を抱いたのでした。ただただ主を愛する思いから出た、ダビデの志です。

これに対して、主は一見「つれない態度」をなさいます。「私は今まで一度でも私のために杉材の家を建ててくれ、と言ったことがあるか?」と。それでも主は、最後には「あなたの息子がわたしの名のために家を建てる」とおっしゃいました。

この箇所を読むとき、私が勝手に想像する父なる神様のお気持ちは、ダビデの思いがけない申し出に、嬉しいけれども戸惑っている父の姿です。主は、冗長なほどに、イスラエルの民と共にエジプトを出て荒野を旅した日々を回想され、約束の地で王国を確立するに至るまでを語られます。まるで、話しながら考えておられるかのようです。

そしてついにダビデの申し出を許可しますが、それでも「実際に建てるのはお前の息子だよ」と釘を刺します。(ここにも、あまりにもダビデに業績が集中し過ぎないようにとの、主の深い配慮を感じます)

私は今朝の御言葉から、「主を愛して志を立て」「主に従順に従う」とのメッセージを受け取りました。

主は私たちを「あやつり人形」とは見ておられません。私たちが「主のために」、自ら創意工夫して挑戦することは、主が喜ばれる生き方だと信じます。しかし、一方で、私が思い描いた通りに進むとは限らない、、、。ダビデは、もちろん自分が建てるつもりだったでしょうけれど、「建てるのは息子のソロモンだよ」と主に言われ、従順に従いました。

さて、皆さんは「聞き従うことは、いけにえにまさる」(第一サムエル15:22)との御言葉から、「自分勝手に行動するのではなく、主の指示を待つべきではないか」と思われるでしょうか、、、。もちろん、自分勝手な行動が主を喜ばせることなど、あり得ません。

ですが、この箇所を良く読めば、サウルがアマレク人の家畜を残したのは「自分の欲のため」であって、「主のため」というのは、あとからつけた言い訳であることがわかります。(第一サムエル15:9)

サウルは(はっきり言いますが)他の場面でも、言い訳が上手です。ですが、主は(私たちが口で何と言おうとも)私たちの心をご覧になります。この御言葉の真意を理解せず、過剰に反応するあまり、もしも私たちが「指示待ち傾向」にあるとするならば、どうでしょう、、、?せっかくゆだねられた1タラントを土に埋めてしまう人生となってしまうかも知れません。(マタイ25:14~30参照)

主を愛して「自分にできることを何かやってみよう」と志を立てるとき、主はその心を喜んで、導きを与えて下さると信じます。

以前私は、ある聖会でチャレンジを受け、自分の救いの証しをFacebookに投稿しようと思い立ちました。その日の夜、書き上げて、いざ投稿ボタンをクリックしようとしたとき、急に恐れがやってきました。「これは職場や得意先の人たちも見るかもしれない、、、大丈夫かな」

ですが、「主よ、助けたまえ!」と目をつぶって投稿しました。すると、予想以上に反響があり、特に取引先の方々が読んで下さいました。それ以降、自分が語った礼拝メッセージやマナメールなどをFacebookに投稿し続けています。職場関係の未信者の方々が読んでくれているようです。

さぁ、皆さん、主を愛して志を立てましょう!志に大きい小さいは関係ありません。そして、主の導きに従順に従って参りましょう!栄光はいつも主に。

■A:考えてみよう
私は主のために何ができるだろうか?
主は私に、どうすることを願っておられるだろうか?

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 よしかず 】

カテゴリー: マナメール

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一つのコメント


  1. 鷺谷シゲコ より:

    感謝します。
    志を立てて
    祈ります。
    主が共にいて実現させてくれます。

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