■S:今日の聖書の言葉
歴代誌第一15章29節

★こうして、主の契約の箱はダビデの町にはいった。サウルの娘ミカルは、窓から見おろし、ダビデ王がとびはねて喜び踊っているのを見て、心の中で彼をさげすんだ。

■O:今日のコラム
シャローム!御国が来ますように!

「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6:4~5)

「そこで、イエスは彼に言われた。『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。」(マタイ22:37~38)

第1の戒めは心、思い、力を尽くして神様を愛することです。これはイエス様ご自身の口から出たことです。これを言い換えるならば、私たちの霊、たましい、身体をもって神様を愛することであると言うこともできます。

今日の箇所「ダビデ王が飛びはねて喜び踊っている」というところから、2つのことを見たいと思います。

(1)「踊り」をもって礼拝することは神様の命令である

「踊りをもって、御名を賛美せよ。タンバリンと立琴をかなでて、主にほめ歌を歌え。 」(詩篇149:3)

「タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。」(詩篇150:4)

「踊り」をもって礼拝する、神様をほめたたえることは神様の命令であることがわかります。

第一歴代誌15章29節と第二サムエル記6章14~16節は並行して書かれています。

「ダビデは、主の前で、力の限り踊った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。 」(2サムエル記6:14)

「主の箱はダビデの町にはいった。サウルの娘ミカルは窓から見おろし、ダビデ王が主の前ではねたり踊ったりしているのを見て、心の中で彼をさげすんだ。」(2サムエル記6:16)

以前ダンスの学びの中で「この時代、戦いに負けた王は敵国の王の前で見せしめとして裸で踊ることが常だった」ということを聞きました。つまり、このダビデが踊った姿は神様の前で、王の前で降伏している、屈服している姿と同じなのです。

(2)身体をもって礼拝する

ヘブル語で礼拝はひれ伏すという意味があります。「ひれ伏す」という行為は、「イエス様はわたしの霊の救い主、たましいの主、肉体の王です。」と宣言することです。同時に、「私はひれ伏している地(ちり)から造られた者で、イエス様のしもべです。イエス様に従います。」ということを意味します。

ひれ伏す礼拝をする中で自分の内にある悪、囚われている領域から解放されることを体験します。私たちの身体が地にひれ伏すことは第1の戒めの力(身体)をもって礼拝することと直結しています。

私たちは時に思考や感情が優先され、礼拝することを選べないことがあると思います。しかし、その時にこそ感情が伴わなくとも、自分の意思、目をイエス様に向ける。礼拝の中で立ち上がる、手を上げる、声を出して賛美する、聖書を音読する、ひれ伏す…自分の身体を従わせる中で自然と礼拝へと導かれていくことを経験します。

■A:考えてみよう

「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」(ローマ12:1)

人間は「霊」「たましい」「身体」から成り立っています。心だけ、思いだけではなく、身体をもって、全てを捧げたイエス様に向かい、霊、たましい、身体を通して日々持てる全てをもって礼拝し、歩んでいくことができますように。

■P:祈り
愛する天のお父さん、今日もイエス様が私の霊の救い主、たましいの主、肉体の王であることを告白します。この告白通り、心も思いも、身体も、あなたに喜ばれる礼拝をささげることができますように。

イエス・キリストの御名によってお祈り致します。

【 まなくぼ 】

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