■S:今日の聖書の言葉
ガラテヤ人への手紙2章9節
★そして、私に与えられたこの恵みを認め、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネが、…
■O:今日のコラム
ガラテヤ2章を読む中で、「柱として重んじられる」という所に、短いワンフレーズですが目が留まり、今日の聖書の言葉として挙げさせていただきました。
柱とは家の土台で中心です。そのような、神の家を支えるような者になりたいと願っています。しかし、そのような者であっても、この箇所を読み進めていくと、偽りの行動に引き込まれた、真理にまっすぐ歩んでいないことが書かれています。
彼らはどうしてそうなってしまったのでしょうか。それは、神よりも人の目にどう映るかを優先してしまったからです。そして、彼らは自分の今までの慣習や規則に従い、肉の行いによって正しい者とされる、自分の行いに頼る生き方へと戻ってしまったのです。
私自身、主を主人としていても、同じような弱さがあることを示され、主の造り変えを求めている中にあります。神に捧げる働きにおいても、人の目を気にして人を満足させようとしたり、また自分の行いに満足し、神様の言葉ではなく自分の考えが中心となってしまう時があります。
「しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。『下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。』」(マタイ16:23)
「あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者です。しかし神は、あなたがたの心をご存知です。」(ルカ16:15a)
今一度、自分自身の行いを点検しましょう。私たちの内側において、何が柱、土台となっているでしょうか?誰の言葉を守り、誰に言われて、誰の心を満たすために行っているのでしょうか。
私たちは、肉の行いによって救われること、達成することを手放し、律法的な教理から解放された者たちです。神の行いによって救われ、神の口から出る言葉によって、生きる者であることを今一度覚えたいと思います。
「けれども、もし私が前に打ちこわしたものをもう一度建てるなら、私は自分自身を違反者にしてしまうのです。しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。」(ガラテヤ2:18~19)
肉にある自分を崩してくださるのも主であり、新しく形造られていく上ではさらに主が必要であることを実感しています。私たちは自分の力では何一つ進めないのです。新しく建てられる中で、簡単にまた自分のやり方に戻り、自分でやろうとする私がいるからです。
だからこそ、言葉通り、毎日毎日主が必要であることを覚えます。絶えず明け渡し続け、ゆだね続けるのです。これをやればオッケー、ここに行ったら正解コースがあるようなものではないからです。人生の大きい決断や困った時だけ神様に聞いたら良いのではなく、一歩一歩主が導いてくださり、主と共に歩むことを神様は願って下さってるからです。
今日の箇所に出てくる、柱として重んじられた人、おもだった人と見られた人、それは、人の目から見られてそうだったことが分かります。(ガラテヤ2:6参照)
もちろんそのような評価は励ましになりますが、反対に、「わたしの神の聖所の柱としよう。」と神によって柱と認められることがあることを聖書を通して教えられました。それは、フィラデルフィアの教会です。(黙示録3章)
「わたしはあなたの行いを知っている。…なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたし名を否まなかったからである。」(黙示録3:8)
「わたしの言葉を守り」とあるように、神のことばを守り、正しい方を恐れ歩んでいく時に、私たちの中に確かな真理の柱が建ち、私たち自身も、主にあって柱とされていくのです。柱とは支えになっていくと同時に、反対に柱が正しく建てられていなければ、家は壊れてしまうことを覚えます。
宮を壊す柱となるのではなく、フィラデルフィアの教会の者たちのように、神様の目に柱とされた者として今日もお一人お一人の内なる人が強められますようにお祈りいたします。
■A:考えてみよう
今日はガラテヤ2章から分かち合わせていただきましたが、ガラテヤ2章は、多くの人がマナメールでも記している、この箇所で閉じられます。
「私はキリストととともに十字架につけられました。もはや私が生きているではなく、キリストが私のうちに生きておわれるのです。…私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」(ガラテヤ2:20~21)
私たちという宮の柱はなんですか? 何に土台を置いていますか?
人の行いによって生きる生き方でなく、神の行いに信頼し、神様である言葉が私のうちに生きてくださることに土台を置き続けましょう。この恵みをますます味わうことができますように。
昨日まで歩んできても、昨日までの歩みでは今日は進めません。このみことばを宣言し、今日また一歩進むために今日も主を求めましょう。
■P:祈り
愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ゆうこ 】
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