■S:今日の聖書の言葉
列王記第二22章19節
★あなたが、この場所とその住民について、これは恐怖となり、のろいとなると、わたしが言ったのを聞いたとき、あなたは心を痛め、主の前にへりくだり、自分の衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる。ー主の御告げですー
■O:今日のコラム
主が預言者フルダを通してヨシヤに言ったことの中に「わたしが言ったのを聞いたとき」という言葉があります。主は「あなたはわたしが言ったことを聞いた」とヨシヤが主の言うことを聞いたということを、認めました。
私たちも、日々主の御声を聞きたいと求め、今朝も主の前に出て、そしてそれだけでなく、主の御心をもっと知りたいとこのようにマナメールまで読んでいると思います。そして、主はもちろんいろいろな形で語られると思います。夢や幻を通して、人を通して、人からの預言を通して、また私たちが主の御声を聞くために静まるとき主が語ってくださることを通して、内におられる聖霊様が示してくださることを通して、また時には主のはっきりとした声を聞くことなど、いろいろな形で主の語りかけを聞くことがあると思います。
しかし、今日の御言葉の箇所で主がヨシヤに「あなたはわたしの言ったことを聞いた」と言われましたが、どのようなことを通してヨシヤは聞いたのでしょうか?それは、「御言葉の朗読を聞くこと」によってです。
第二列王記22章にあるように、大祭司ヒルキヤが見つけた「律法の書」を、書記シャファンがヨシヤ王の前でそれを読み上げ、ヨシヤ王はその読み上げられた「律法の書」のことばを聞いたのです。私たちが御言葉を朗読する時に、声に出して読み、その聖書のことばを私たちの耳、私たちの魂が聞く時に、「私たちは主の言っていることを聞いてる」状態であることを今一度覚えて、主に感謝します。
また、読み上げられる律法の書のことばを聞いたヨシヤが主の憤りの激しさを悟り心を痛めたように、私たちは御言葉を朗読するとき、聖霊様の導きの中で私たちは罪を悟り、神の慈愛によって悔い改めに導かれることもあります。
私たちが御言葉を朗読し、継続して主の御言葉を私自身が聞くとき、主の心を知ること、主が感じていることを感じ、主が思うことを思う者へと造り変えられること、主の御心を祈る祈りをすることへと主によって導かれることを感謝します。
さらに、ヨシヤは読み上げられた律法の書の言葉を聞いて「主の言うことを聞く」ことを通して、預言者からさらに主からの個人的な語りかけを聞きました。同じように、私たちが日々御言葉を朗読して「主の言うことを聞く」ならば、日々の生活の中で、また祈りの中、主の前に静まり御声に耳を傾ける時に、私たちはさらに主からの語りかけを聞く、主の御声を聞くようになります。
私たちは時に「これは主からだろうか」「私は主の御声を本当に聞けているだろうか」と思うことがあるかもしれません。しかし、今日の箇所にあるように、主の御言葉を朗読することは主ご自身が「主の言っていることを聞いている」と認めてくださっていることを覚え、益々、御言葉の朗読に励んでいきたいと思います。
また御言葉の朗読を続けるならば、日々の主との歩みの中で、祈りの中で、主の前に静まる中で、主の語りかけ、主の御声をさらに聞くことができるようになることを感謝し、「御言葉の朗読」をし、「主の御声を聞くこと」を、ひたすら求め続けていきましょう。
私たちは、神の口から出る一つ一つのことばによって生きます!私たちの愛する方が、今日も私たち1人1人に語ってくださることを感謝します!
■A:考えてみよう
私たちの愛するお方の御声を聞けることはどんなに幸せなことでしょうか。御言葉を通して、愛する主の御声を聞くこと、主が主ご自身の心を分かち合ってくださることは、どんなことにもまさって私たちの喜びです。
たとえ私たちの罪が示されることであっても、主が私たちを主の似姿に造り変えてくださる愛の招きなので、神の慈愛をひたすらに感じる喜びです。
御言葉を通して益々主の言われることを聞き、日々の歩みや祈りの中でも益々主の語りかけを聞く者になることを今一度求め、主に祈りましょう。
今日も「御言葉を朗読」し、主の御心を求めて、「主の御声に耳を傾ける時間」を持ちましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ありさ 】
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