■S:今日の聖書の言葉
ユダの手紙17~21節

★愛する人々よ。私たちの主イエス・キリストの使徒たちが、前もって語ったことばを思い起こしてください。
彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう、あざける者どもが現れる。」
この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。
しかし、愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。

■O:今日のコラム
主は私たちを愛し、恵みを注いでくださって、私たちを贖ってくださったことを感謝いたします。そしてこの恵みは、私たちが肉のままに生きることを拒ませ、神を愛する歩みへと導いてくれるものです。

ここで語られている「あざける者」は恵みをきちんと受け取っておらず、恵みの良い管理者となっていないのです。なので、恵みによって赦されるのだから罪に生きて良いのだ、と主を否定している集団のことです。

「愛する人々。私はあなたがたに、私たちがともに受けている救いについて手紙を書こうとして、あらゆる努力をしていましたが、聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。というのは、ある人々が、ひそかに忍び込んで来たからです。彼らは、このようなさばきに会うと昔から前もってしるされている人々で、不敬虔な者であり、私たちの神の恵みを放縦に変えて、私たちの唯一の支配者であり主であるイエス・キリストを否定する人たちです。」(ユダ1:3~4)

恵みは、赦しであるだけでなく、愛する原動力なのです。主の恵みのゆえに私たちは犠牲を払って神を愛することを選ぶことができるのです。

私たちの体には依然として肉の性質が宿っていて、神を愛することと反対に歩もうとします。しかし愛はこの肉を選ばせず、神を愛することを選ばせます。

世にある夫婦の歩みにおいても、夫や妻を愛するがゆえに誘惑を捨てて夫婦の正しい関係を築くことを選ぶものです。主との関係にあっても、神を愛するがゆえに肉を捨てて、神を愛することを選ぶのです。肉の弱さを認め十字架に進み出て新しい献身を今日も持ちましょう!そのようにするなら神の恵みは私たちに豊かに注がれ、神の力が豊かに現れるのです。

「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」(2コリント12:9)

肉を捧げることに抵抗感があるから、ダメではありません。感覚や感情に従うことが信仰の歩みではないのですから。感覚より先に信仰が、信仰より先に愛が働く必要があります。愛によって働く信仰が大切です。感覚は後から付いてきます。

■A:考えてみよう
肉の弱さを抱えていることを認め、今日も新しく主の恵みにあずかるために十字架に、自分の肉を捧げよう。日々新しい献身をし、新しい恵みと愛に生きていこう。

■P:祈り
あなたの恵みはいのちにも勝るゆえ、私は御名を褒め称えます。あなたの偉大な十字架のみわざを褒め称えます。私の肉の弱さを認めます。あなたを愛し、この肉を十字架に捧げます。あなたの恵みの中に歩ませてください。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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