■S:今日の聖書の言葉
列王記第二16章2~3節

★アハズは二十歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼はその父祖ダビデとは違って、彼の神、主の目にかなうことを行わず、イスラエルの王たちの道に歩み、主がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の、忌みきらうべきならわしをまねて、自分の子どもに火の中をくぐらせることまでした。

■O:今日のコラム
今日の箇所はアハズ王が登場します。アハズ王はその生涯において、徹底して主に背き、不信の罪を犯し続けた王です。

第二歴代誌にはアハズ王が行なった主に対する不信の罪がたくさん記録されています。数多くの偶像を造り、自分の子どもを火の中にまでくぐらせました。さらに、主の宮の器具を集め、それをアッシリヤの王に贈ってしまったのです。

さらに、主の宮の戸を閉めてしまい、エルサレムの町中の至る所に偶像の祭壇を造ったと記録されています。アハズ王はこれでもかという程に徹底して主に背き、その生涯において一度も悔い改めた事がありませんでした。

あのアハブ王でさえ、エリヤによって悔い改めを迫られたときに、へりくだって悔い改め、主に立ち返ったことが記録されています。マナセ王もバビロンに捕らえられたときに、初めて主にへりくだり悔い改めました。このように最初から最後まで一つも良いところが見当たらないアハズ王ですが、アハズ王の姿から一つ学ばされることがあります。

それは、人間の心は最初から悪であるということです。神様の目から見たら全ての人間が罪人であり、アハズ王も私たちも皆罪人であることには変わらないということです。アハズ王は人生の最後まで神様に背き続けました。もはや罪を犯していても何も感じないほどに良心が麻痺していたのです。

イエス様は十字架上でこのように言われました。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)

罪を犯している状態というのは、自分が自分で何をしているのかわからなくなっている状態です。しかし、神の御子であるイエス様が私たちの罪の為に十字架に掛かってくださったことにより、ようやく自分が今まで何をして来たのかという事実に気づく事ができるのです。

私たちの罪は神の御子であるイエス様を十字架にかけてしまう程に恐ろしいものであったのです。イエス様の十字架の意味、その事実を知るときに、悔い改めの心がやってきます。罪を認識して悔い改め、主の元に立ち返ることができるのは本当に主の憐れみと恵みなのです。

アハズ王の姿を通して、自分自身がどこから救われ、どのような恵みを受けたのか、今一度主の恵みを体験する機会にしていきたいと思います。

今日も一日、皆様の上にイエス様の豊かな恵みがありますように。

■A:考えてみよう
イエス様は罪の泥沼の中から私たちを救い出してくださいました。私たちは今一度イエス様が十字架で成し遂げてくださった贖いの御業が、どれほど素晴らしいものであるのかを考えてみたいと思います。

■P:祈り

愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あきひろ 】

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