■S:今日の聖書の言葉
列王記第二10章28~29節

★このようにして、エフーはバアルをイスラエルから根絶やしにした。ただし、エフーは、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪、すなわち、ベテルとダンにあった金の子牛に仕えることをやめようとはしなかった。

■O:今日のコラム
主に油注がれたエフーは、アハブ家とイゼベルを殺し、バアルをイスラエルから根絶やしにしました。主が忌み嫌われる姦淫と呪術、偶像礼拝をイスラエルから取り除いたことは、主の目にかなったことでした(2列王記10:30参照)。

しかし、エフーは、バアルを根絶やしにしながら、同じように人の手で造られた金の子牛を取り除くことをしませんでした。

金の子牛は、出エジプトの時にイスラエルの民が「自分たちのために」造った神です(出エジプト記32章参照)。ヤロブアムは、人々の心が「自分から離れないために」金の子牛をベテルとダンに置きました。そして、「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」と言ったのです(1列王記12:26~参照)。すなわち、ヤロブアムの罪、金の子牛が意味するのは、自己中心、主の律法よりも自分の思いや都合を優先させることです。

明らかな罪や目に見える偶像を取り除くことは、ある意味、簡単かもしれません。しかし、私たちの心の奥深くにはいつも自己中心という罪の根、自分という偶像があり、これを取り除くことは簡単ではありません。最大の敵は、サタンではなく、自分自身です。この罪を取り除くことをしなければ、そして、たとえ取り除いたとしても、その根が御言葉に根ざしていなければ、御言葉に歩むことが出来ずに、同じことを繰り返してしまうのです。

「しかし、エフーは、心を尽くしてイスラエルの神、主の律法に歩もうと心がけず、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪から離れなかった。」(2列王記10:31)

後の章を見ていくなら、ヤロブアムの罪、霊性が、イスラエルの中に「根強く」残っていることがわかります。そして、私たちの内にも、この罪の根があることに気付かされます。

私自身、根の祈りをする中で、自分の感情や思いを主の御言葉よりも先行させていたことに気付きました。結婚してから、さらに明らかにされたのですが、私は体調や様々な状況や人々を理由にして、その感情や思いがあたかも正しいことであるかのように、当然のことのように思っていたのです。しかし、聖霊様がその罪を示し、悔い改めへと導いて下さいました。

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)

この御言葉を、自分の感情や思いが先行するときに、何度も何度も黙想し、宣言しました。そうするうちに、私の内にある自分の感情や思いを正当化する自己中心の罪から解放されることを体験し、結婚生活の中で、人間関係の中で、キリストが私の心を治めて下さることを味わうようになったのです。そして、その変化は、私が感じるだけでなく、夫も、周りの人々も感じるようになりました。まだまだ変化の過程にあり、弱さもいまだたくさんありますが、根が変わるなら、生き方が変わっていくということを本当に実感しています。

自分に死ぬこと、自分を十字架につけることが困難に思う時、イエス様を見上げる時であることを覚えます。イエス様は、自分の権利を何一つ主張しませんでした。

「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、」(ピリピ2:6)

イエス様が十字架に架けられたのは、私たちの罪のためであることを覚える時、私たちは、この肉体をもって十字架に架からずとも、心において、思いにおいて、感情において日々、十字架に架けられる必要があります。もはや、私の人生、生き方からキリストの中に生きる人生へと変えられるためにです。

十字架の恵みは、一度だけではなく、何度も何度も経験します。それは、私たちの罪が明らかにされ、御霊により、血潮により変えられ続ける過程の中で味わう恵みです。途中で諦めてしまってはそこで終わりです。今見えずとも、継続して、罪の根を取り扱って頂き、共にキリストの中に根ざしていきましょう。

■A:考えてみよう
・主の御言葉よりも、自分の思いや都合を優先としてしまっていること、正当化していることはないだろうか。(私がこの感情を持つのは当然だという思い、あの人が、あの状況のせい、私の内には原因はないと思っていることはないだろうか、果たして本当にそうだろうか。)

・根の祈りを継続して取り組んでいきましょう。諦めることなく、私たちの奥深くに根ざしている罪の根が根絶やしにされ、本来根ざすべき御言葉の上に根ざすことが出来ますように。

「キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。」(コロサイ2:7)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ささまな 】

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