■S:今日の聖書の言葉
列王記第二8章18節

★彼はアハブの家の者がしたように、イスラエルの王たちの道に歩んだ。アハブの娘が彼の妻であったからである。彼は主の目の前に悪を行ったが、

■O:今日のコラム
ユダの王となったヨラムが、なぜイスラエルの王たちと同じく主の目に悪を行ったのでしょうか?この箇所にはっきりと理由が書かれてあります。
「アハブの娘が彼の妻であったからである。」

このアハブとは、イスラエルの王でイゼベルを妻にした人物です。その娘がヨラムの妻となったのです。

「オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目の前に悪を行った。」(1列王記16:30)

そして、このアハブ王の父はどんな王だったのでしょうか?

「オムリは主の目の前に悪を行い、彼以前のだれよりも悪いことをした。」(1列王記16:25)

これらを見る時に、親が子どもに与える影響力や妻の影響力は大きく重要な役割があることに気づきます。そして、親から子へ信仰継承がなされ、悪い信仰継承はさらに悪が増し加わっているのが分かります。

今、私たちは根を取り扱うことを取り組んでいます。私にも沢山の根があることに毎日のように気づかされます。その中で、私の内に両親と同じ性質や気質が良い部分も悪い部分もあることを目の当たりにします。自分が幼い時、「絶対にこんな風にはならない!」と思っていた性質が、悲しいことに自分の内にもあるのです。その根は何年も何年もかけて出来たため、簡単には抜けてくれません。

なかなか変われない自分に、悔しさや情けなさを覚え涙する時もあります。自分がクリスチャンホームに生まれていれば、違う家庭環境で育っていれば、と頭をよぎった事もあります。ですが、クリスチャンの両親であれ、どんな家庭環境でも完璧なものは一つもありません。たとえ難しければ難しいほど、大変な環境であればあるほど、主の恵みは大きいことを知ります。

「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(2コリント12:9~10)

この御言葉に何度も何度も励まされ、自分の弱さや罪深さを味わうたびに、主に抱きしめられ主が私の責任をとってくれる。と慰められてきました。

根の祈りを始めてから、主の恵みにより頼む生き方へと少しずつですが、変えられてきています。自分の内に深い罪の性質やどうしようもない弱さ汚さを知れば知るほど、主が必要で主がいなければ私には何も残らないし何も出来ないことを実感します。だからこそ、そこに働く主の恵みは絶大です。本当に主の恵みがなければ、一歩も前進出来ません。

全ての悪の連鎖や、自分ではどうすることも出来ない弱さや罪に完全勝利をおさめられた主に、ますます信頼しより頼みたいと願います。主の十字架に解決があり、そして主の力は、弱さのうちに完全に現れることをますます体験したいと願います。

■A:考えてみよう
・自分の力や努力でどうすることも出来ない領域はないだろうか?
・主の恵みにより頼んでいるだろうか?
・変われない性質を環境や人のせいにして、諦めていないだろうか?

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 おりえ 】

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