■S:今日の聖書の言葉
列王記第二3章15,16節

★しかし、今、立琴をひく者をここに連れて来てください。」立琴をひく者が立琴をひき鳴らすと、主の手がエリシャの上に下り、彼は次のように言った。「主はこう仰せられる。『この谷にみぞを掘れ。みぞを掘れ。』

同4章5,6節

★そこで、彼女は彼のもとから去り、子どもたちといっしょにうしろの戸を閉じ、子どもたちが次々に彼女のところに持って来る器に油をついだ。器がいっぱいになったので、彼女は子どもに言った。「もっと器を持って来なさい。」子どもが彼女に、「もう器はありません。」と言うと、油は止まった。

■O:今日のコラム
私たちは日々、聖霊様を歓迎し、御霊との親しい交わりがあるでしょうか?

そもそも、御霊と親しくするには、また、聖霊様に満たされるにはどうしたら良いのでしょう?今日の2つの聖句から、御霊を歓迎し、聖霊様に満たされる秘訣を見たいと思います。

1つ目の聖句の背景は、預言者エリシャのもとに、イスラエルの王ヨラム、ユダの王ヨシャパテ、エドムの王の三人が神のことばを求めてやってきた時のことです。エリシャは神の霊がくだり、神のみことばを受け取るために、立琴を弾く者を連れてくるようにと言いました。

「立琴をひく者が立琴をひき鳴らすと、主の手がエリシャの上に下」ったと書かれています。

立琴で思い出すのはダビデです。わざわいの霊にとらわれて苦しんでいたサウル王の前でダビデが立琴を弾くと、その悪い霊がサウル王から去っていきました。(第一サムエル記16章)

立琴は賛美を意味します。立琴を弾くものが、神を賛美し、臨在を歓迎し、感謝を捧げるところに聖霊様が臨んでくださり、また満ちてくださいます。立琴を弾くものが、感謝のいけにえが捧げたところに、神の霊がくだり、主の御手の介入がありエリシャは神のみことばを語ることができました。同様に、ダビデが神を礼拝し、感謝を告白した時に、悪い霊が逃げていきました。

みことばはこう言っています。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。御霊を消してはなりません。」(1テサロニケ5:16~19)

「御霊を消してはなりません。」とありますが、もし、私たちがいつも怒り、まったく祈らず、何にも感謝せずに不満を言うなら、御霊は消えてしまうでしょう。私たちが不平不満や嘆き事、人の批判ばかりを口づさむなら、私たちの内側は敵にとって居心地の良い巣となるでしょう。私たちの心と思いが、敵にとらわれ、悪の思いで満ちてしまいます。

けれども、私たちが主の良くしてくださったこと一つひとつに感謝し、主の素晴らしさを告白し賛美するならば、聖霊様が内に満ち満ちてくださいます。御霊が臨んで私たちの内に満ちてくださる時に、私たちの口はみことばを語る、預言者の口となることができます。

2つ目の聖句は、エリシャのもとに、やもめとその子どもが助けを叫び求めてきた時のことです。貧しいやもめの家には何もなく、あるのは油のつぼ1つだけでした。エリシャはその親子に「からの器をできるだけ沢山集めてきなさい。」と言いました。

その親子は近所中をまわり、ありったけのからの器を集めエリシャの元に持ってきました。エリシャがその空の器すべてに油を注ぎ続ける間は油は尽きることなく、からの器がなくなった時に止まりました。

油は器の分だけ、注がれました。イエス様が洗礼を受けられた時、御霊が鳩のようにイエス様の上に臨まれました。御霊はイエス様の上に臨まれます。

では、私たちの上には臨んでくださらないのでしょうか?

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:20a)

私たちの内にキリストが生きておられます。御霊は、私たちの内に生きておられるキリストの上に臨んでくださるのです。私たちの内にまだまだ自分自身が大きく生きていて、自己が中心にのさばり、(からの器の数に限りがあったように)キリストのご性質が小さい領域に制限されているならば御霊の臨まれる領域も小さく制限されてしまうでしょう。

けれども、自己中心が衰え、キリストが私の内にますます盛んになられて、私の内に広い領土を持ってくださるなら、御霊もその広い領土に豊かに臨まれることを覚えます。

神はただ、やもめの家の油のつぼを満たしたのではありませんでした。油を受け取るために、やもめとその子どもたちは、自分たちの足で外に出向き、からの器を集めました。聖霊様の満たしは自動的にはやってきません。そのために私たちが取り組まなければならないことがあります。

御霊が豊かに臨んでくださり、聖霊様の満たしを受け取るために、私たちはまず、自分たちのくちびるを主への感謝と賛美で満たしましょう。「立琴を弾くもの」とあるように、音楽と共に感謝の告白や賛美があることが素晴らしいですし、私も大好きですが、臨在は音楽の有無ではありません。感謝の有無、礼拝の有無によります。

また、私たちの肉の性質の上にではなく、私たちの内に生きておられるキリストの上に御霊が臨んでくださることを今日、覚えましょう。私たちの内に生きておられるキリストのご性質の上に、また私たちの内に刻まれているみことばの上に、御霊が臨まれます。

私たちは今日、感謝の告白、賛美をもって聖霊様を歓迎し、自分に死に、キリストに生きることによって、さらに豊かに御霊に満たされていきましょう。

エペソ5章18節に「御霊に満たされなさい。」とありますが、原語においては、「御霊に満たされ続けなさい。」という意味です。私たちは日々、御霊に渇き、御霊を慕い、尊んでいきましょう。

■A:考えてみよう
私の日々の告白は、御霊を歓迎するものだろうか?御霊を消してしまうものだろうか?

私のうちに、どれほどに自己中心が生きているだろうか?また、私の内にどれだけのキリストが生きているだろうか?

■P:祈り
聖霊様、今日も私の内にあなたを歓迎します。あなたに満たされたいと願いながらも、あなたが住まうことのできる環境を整えていなかった私を赦してください。私の告白を嘆きや不満、批判から、あなたへの感謝に変えます。私の口にいつも主への賛美があるようにします。聖霊様、それすらもあなたの助けがなければ、自分の力だけではできないことを覚えます。
古い性質が取り除けられて、私の内にますますキリストが生きてくださいますように。人々が私を見て、私の行動、私の言葉、私の生き方を見て、キリストを見ることが出来ますように。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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