■S:今日の聖書の言葉
ピリピ人への手紙3章10~15節

★私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。
私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。
ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。

■O:今日のコラム
パウロの信仰の歩みがうかがえる聖句です。それを2つのポイントに分けることができます。

(1)後ろのものを忘れ
自分の過去の失敗、自分が傷つけられた体験。誰でも経験があると思います。そこから回復することは、同じ失敗に陥っている人を励ますために、同じような体験をする人を慰めるために重要です。しかし、人はそれを何度も繰り返し頭の中で再生してしまうことがあります。その再生ボタンを押すのをやめましょう。それは自分を傷つけるだけで益になりません。

逆のパターンもあります。過去の成功、過去の栄光を何度も振り返るのもやめましょう。それは過ぎ去ったものです。ただ主が良いことをしてくださったことだけを覚えておくことです。そしてそれが分かっていてもできないものであることを知っています。

しかし私たちには救いがあるのです。それが十字架です。十字架につかれたイエス様の御前に進み、悔い改め(方向転換)するのです。後ろではなく前を向くのです。

(2)前に向かって進む
パウロは「目標がある」と言っています。その目標とは究極にはイエス・キリストです。御言葉なるイエス様と一つになるためには、毎日の歩みにおいて自分に語られた御言葉を実行していく歩みが大切です。御言葉は、私の足のともしびです。一歩ずつ、ともしびの光によって道は示されていきます。

御言葉を実行する願いを持つことは重要です。私たちが願い求めなければそうはなりません。しかし私を御言葉と一つに造り変える力は神にあります。

そしてこの方が語られたのであれば、必ずそのことは実現します。

イエス様と人格的に一つになりたいと願われるでしょうか?イエス様が感じているように感じ、考えているように考えたいと思われるでしょうか?自分の力でそんなことが可能な訳がありません。ただ信じてその御言葉を実行することを妨げる自分に死ぬのです。そうすれば必ず栄光によみがえる体験をするのです。それが10~12節に描かれていることです。人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。

■A:考えてみよう
後ろのものを振り返ることはやめましょう。悔い改めて前に方向転換するのです。自分のともしびを握りましょう。御言葉のともしびは口で握るのです。語られた御言葉を反芻するために口ずさみ、思い巡らす時間を持ちましょう。

■P:祈り
私は私の目の前に主を置きます。私の目標、私の目的はイエス様です。あなたがお語りになった言葉、神のレーマに不可能なことはありません。どうぞ主の御口から出た一つひとつの言葉によって私を生かし養って、成長させてください。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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