■S:今日の聖書の言葉
エゼキエル書45章1節
★あなたがたがその地を相続として、くじで分けるとき、その地の聖なる区域を奉納地として主にささげなければならない。その長さは二万五千キュビト、幅は一万キュビト。その周囲の全域は聖なる地である。
■O:今日のコラム
シャバットシャローム!
エゼキエル45章では相続地をどのように管理するか、聖なる区域についての規定が示されています。
私たちに与えられている「相続地」は、イスラエルにある実際の土地ではなく、内なる人という相続地です。霊、たましい、体、全領域を主が主権者として治めたいと願っておられます。
その相続地をどのように管理するかは主の規定に従って治めなければなりません。エゼキエル45章には、はっきりとどのように治めるのかが書いてあります。
「その地の聖なる区域を奉納地として主にささげなければならない。」
相続地には聖なる区域を設ける必要があることがわかります。聖なる区域からさらに至聖所が設けられています。主に捧げる奉納物ですので、最上の物を捧げなければなりません。私たちの最上の物とは何でしょうか?
私たちが捧げられる最上の奉納物となるものは、私たちの心であると思います。さらに具体的に言うならば「思考」であると思います。しかしながら、私たちの考えること、感じること、御言葉を読んで教えられることも自分というフィルターを通すならば、主が願っておられることを行っているとは言えないでしょう。
「神である主はこう仰せられる。イスラエルの君主たちよ。もうたくさんだ。暴虐と暴行を取り除き、公義と正義とを行え。私の民を重税で追い立てることをやめよ。ー神である主の御告げー」(エゼキエル45:9)
心が聖なるものとして捧げられる時、私たちの行動や言動、感情の領域においても最高の物を捧げることができます。私たちの思考が御言葉によって変えられるとき、私たちは主に喜ばれるものを捧げることができます。
エゼキエルに書かれているように、その思考の領域を主への聖なる区域として奉納地として捧げるのです。もちろん思考が御言葉によって造り変えられるのには時間がかかります。しかし、その領域が主にあって勝ち取られるとき、必ず主の祝福が伴います。
「これは、あなたがたの神、主が、あなたがたに教えよと命じられた命令ーおきてと定めーである。あなたがたが、渡って行って、所有しようとしている地で、行うためである。それは、あなたの一生の間、あなたも、そしてあなたの子も孫も、あなたの神、主を恐れて、私の命じるすべての主のおきてと命令を守るため、またあなたが長く生きることのできるためである。」(申命記6:1~2)
「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6:4~5)
■A:考えてみよう
思考が変えられることを願っているだろうか。
御言葉の中に私たちの思いの領域を明け渡せているだろうか。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あはごん 】
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