■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第一 16章22〜23節

★主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来てください。主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。

■O:今日のコラム
第一コリントの締めの言葉において、パウロは「のろい」という強い表現をもってこの手紙を閉じています。何に対して「のろわれよ。」と言っているのかというと「主を愛さいない者」にです。

では、主を愛する者と愛さない者の大きな違いは何でしょうか。それは、その後に記されている「主よ、来てください。(マラナ・タ)」という言葉に答えがあります。

初代教会において「マラナ・タ」とは大切な挨拶でした。様々な困難や迫害の中にあっても、主イエスの再臨を心に覚え「マラナ・タ」と互いに慰め合い、励まし合ったのでした。

パウロはテサロニケの手紙において聖徒たちの携挙について明確に語り、その上で、

「こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。」(1テサロニケ4:18)

と言っています。初代教会にとって主が来られることは慰めだったのです。しかし、現代の教会はこのテーマをもって議論し、批判し、訴えあっています。たとえ主イエスが来られるのが、大患難の前でも、途中でも、後半であったとしても、共通するのは「主イエスが再び来られる。」ということです。それであるなら、時期はいつであろうとも、私たちの態度は主イエスが再び来られることを待ち望むことが重要です。

しかし、今まで何度も再臨に対して惑わしがあった為、多くの人々は再臨に対して失望し、興味を失い、否定的な態度をとるようになってしまいました。そして、終わりの時に人々はますます自己中心的な生き方に陥り、再臨を否定するようになることをペテロは言っています。

「まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、次のように言うでしょう。『キリストの来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。』」(2ペテロ3:3〜4)

私たちの信仰の歩みにおいて再臨は、ミニストリーの繁栄よりも、結婚生活の祝福よりも、ビジネスの成功よりも、もっと大切なテーマであり、最も重要な祈りの課題です。新約聖書のあらゆる箇所で、「主イエスが再び来られる時、私たちが傷の無い、聖なる者となるように。」という内容が祈りをもって記されています。

日常生活の様々な忙しさや、自分のあらゆる夢や計画の中にあって今一度、主イエスの再臨を心に覚え、私たちの人生においてもっと大切な準備をしましょう。その日が来るまで、私たちの内なる人が日々キリストの似姿へと変えられ続けて行くことを目指してまいりましょう。全ては御霊なる主の働きによって完成して行きます。

■A:考えてみよう
「今日」主イエスが戻って来られても大丈夫なように用意が出来ているでしょうか。この地上で私たちに与えられている一日一日は大切な機会です。日々、内なる人が主の似姿へと変えられる為に、祈りと御言葉の生活を続けてまいりましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【 しんご 】

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