■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙 第一 15章57節

★しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。

■O:今日のコラム
コリント人への手紙第一の15章では、福音について書かれています。

パウロが伝えた福音の中でも、最も大切なものは、
・キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと
・葬られたこと
・聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと(ケパ、500人に現れたこと)

つまり、キリストの死と葬りと復活になります。これが福音の中心です。この福音のことばを保っているなら、この福音によって、私たちは救われると2節には書かれています。

例えば、みなさんが飛行機に乗っていたとします。そのハンドルを免許のない一般の人が運転しているというアナウンスが流れると、みなさんならどうするでしょうか。いてもたってもいられなくなるのではないでしょうか。私たちの人生のハンドルを自分自身で握りしめるとは、それよりももっと危険なことになります。私たちのことを誰よりも知っており、私たちを愛を持って創造された神様を認めず、信じない生き方はこのようなものです。

最も幸いな生き方とは何でしょうか。それは、自分の主人はイエス様であるということを認め、自分の人生のハンドルを主に委ね続ける生き方をすることです。その場合、主人には絶対服従が求められます。一度委ねたハンドルを取り戻したりしてはいけません。肉の主人は不完全なので、間違うことがあるかもしれませんが、私たちの従う主人は世界で最も間違いのない、真理なるお方です。

このお方にすべてを信頼する生き方が、どれほど私たちの心に平安をもたらすでしょうか。しかし、そこに至るために通らなければならないところがあります。それが、自分に死ぬということです。

それでは、死はどこから来るのでしょうか。

「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ6:23)

死の原因は罪であります。罪を持っているなら、死にます。完全に人であり、完全な神であられる、罪のないイエス様は、本来死ぬ必要はありませんでした。しかし、イエス様は私たちに愛を示すために、自らすべての人の罪を背負い、死にまでも従われました。いのちである御血潮を流し、代価を払って私たちの罪にまみれた人生を買い取ってくださいました。これを信じ、告白するものは救われます。(ローマ10:10)

私たちは、信仰によって十字架の贖い、罪の赦しを受け取りましたが、自分の中にいまだに残る罪の性質を毎日十字架に明け渡す必要があります。それが、パウロの言う「毎日が死の連続である」ということです。

これを経験し続けるなら、どうなるでしょうか。

「しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、『死は勝利にのまれた』としるされている、みことばが実現します。『死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。』死のとげは罪であり、罪の力は律法です。 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」(1コリント15:54~57)

これが福音です。

福音とは、ユーアンゲリオンというギリシャ語です。それは、「我らの国は戦争に勝利した!」という伝達者の喜びの叫びから取られたものです。私たちは、イエス・キリストの十字架のゆえに、罪の性質に勝利し、この言葉を高らかに宣言することができます。

私たちはキリストにあって死に勝利した!

■A:考えてみよう
私たちは毎日、死に直面し、死に勝利しているだろうか。

例えば、これはどうでしょうか。

・空き時間が10分できました。(A)聖書を2章読む、(B)YouTubeでお笑いを見る
・正面から少しニガテな人がやってきました。(A)めんどくさいので、少し物陰に隠れる、(B)少し勇気を出して、笑顔で挨拶する
・日曜日の礼拝の時間に好きな映画の試写会が当選しました。(A)試写会に行く、(B)礼拝に出席する
・新宿で友だちと待ち合わせをしていたが、突然キャンセルされました。(A)ショッピングをして帰る(B)祈りの家に行き祈る
・日曜日のメッセージで、あることをチャレンジされた。(A)毎日はできないかも知れないけどチャレンジし続ける、(B)一度も実行しない
・自分でも少し「いけないな」と思っていたところ、みことばが浮かんできた。(A)みことばを無視して、それを行い続ける、(B)すぐにやめる
・通りかかったら、教会のキッチンが汚れていた(A)掃除する、(B)見て見ぬふりをする。

自分に死ぬとは、大きなことだけではありません。このように、毎日の生活中に自分に死ぬ機会はたくさんあります。自分のしたいように生きるなら、それは肉に従った生き方です。しかし、私たちが御霊に導かれる生き方をするなら、たとえ自分のしたくないことであったとしても、神様に喜ばれることを選び取っていけるはずです。

自分に死ぬことの目的は、私たちの内にキリストが満ち溢れてくださるためです。もし、「私の主人はイエス様である」というのであれば、このお方に従わないという選択はありません。しかも、その従順の結果は永遠のいのちに至ります。救いの達成(ピリピ2:12)のためにも、今日も御霊によって死を味わい、キリスト共に復活にあずかりましょう。

あなたの人生の主人は誰ですか?誰に従って生きていますか?

「イエスは、みなの者に言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(ルカ9:23)

「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:2)

■P:祈り
愛する天のお父さん、あなたが遣わしてくださったひとり子、イエス・キリストをあがめ、感謝します。このお方の、天の父に対する従順を通して、私たちに従順の喜びを教えてくださったことを感謝します。
私たちは神様によって神の似姿に創造されました。しかし、罪によって人の霊は死んだものとなり、神との間に隔たりができました。そこで、神様は御子、イエス・キリストを遣わし、このお方の十字架の死と葬りと復活を通して、私たちの罪を購ってくださいました。
その事実を知ったゆえ、私たちは日々自分の価値基準から神様への価値基準へと悔い改める生き方をしていきます。信仰を持って、あなたに依り頼む生き方をし続けます。
どうか私が福音に生きることができるよう、聖霊様、私を助けて下さい。今日も自分に死に、キリスト共に復活にあずかることができますように。そして、私の内なる人が建て上げられていきますように。
イエス様の血潮による贖いは完了しました。それゆえ、大胆に福音を叫びます。「死は勝利にのまれた!」

勝利の主、イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【 しゅん 】

カテゴリー: マナメール

オンライン献金はこちらから。

大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。

オンラインサポートの手順

Comments are closed.

  • 最近のコメント

  • 新宿シャローム教会 大久保会堂


    〒169-0073 東京都新宿区百人町1-23-24アミューズ大久保ビル2F
    TEL 03-3371-7558
  • アーカイブ

  • カテゴリー