■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第一12章7~11節

★しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。
ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、
またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、
ある人には奇蹟を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。

■O:今日のコラム
皆さんは、ご自分の中に御霊が住んでおられることを信じますか?その御霊は、異言や預言、奇跡や癒しを行う賜物をコリント教会の聖徒に与えていました。賜物の種類は違っても同じ御霊がこれら全てのことをなさっていました。

現代において私たちの中におられる御霊は、コリント教会に注がれた御霊とも、イエス様に注がれた御霊とも同じ御霊です。同一の御霊が現代もこれらの賜物を教会にお与えになられています。主が御霊の賜物をお与えになる理由は、自慢のためではなく、みなの益となるためです。(7節)

そして14章を先取りで見てしまうのであれば、二度も強調されて熱心に求めるように命じられている(命令です)賜物があります。それは預言です。

「主はこう仰せられる」などと手を置いてやらなくても預言はできます。(置いてももちろんOK)普段の会話の中で解き放つことができます。新約時代の私たちが解き放つ個人に対する預言は、人の徳を高め、慰めと励ましに満ちたものです。

「ところが預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。」(1コリント人14:3)

人を裁く預言であったら、注意が必要です。自分の肉から出てきていることがあります。初代教会のリーダーの一人にバルナバがいます。彼は慰めの子と呼ばれている、と聖書に書かれています。しかしバルナバは、ヘブル語で直訳するとバル(子)ネビー(預言)であり、預言の子です。新訳の預言の特徴は、慰めです。

私たちの口から恵みの言葉が解き放たれるために、預言を熱心に求めましょう。

■A:考えてみよう
人々と会話する中で、預言を解き放つ訓練をする。使えば使うほど賜物は磨かれます。相手を裁くような思いが来たら、とりあえず脇に置き、それが事実であるなら個人の中でとりなし祈りましょう。

■P:祈り
預言を熱心に求めなさい、と言われる主よ。人々を励まし、慰め、建て上げるために、預言をお与えください。私の口から恵みが解き放たれるようにしてください。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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