■S:今日の聖書の言葉
エゼキエル書36章2節

★神である主はこう仰せられる。敵がおまえたちに向かって、「あはは、昔からの高き所がわれわれの所有となった」と言っている。

コリント人への手紙第一8章6節

★私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。

■O:今日のコラム
私たちは、イエス様を自分の救い主として心に信じて、口で告白し、キリスト者となりました。福音とはイエス様を救い主として受け入れたらそれで完成ではありません。福音とはイエス様が自分の救い主であるだけでなく、イエス様に自分の人生の主人となっていただくことです。自分の人生の主が、イエス様に変わること、それが福音に生きることです。

今日の箇所でイスラエルの敵は、イスラエルの民に対してあざ笑って言いました。「昔からの高き所がわれわれの所有となった。」
「高き所」とは礼拝を意味し、また霊的には心の王座を意味します。私たちはイエス様を救い主として信じてはいるものの、依然として、自分の心の一番高いところを敵に奪われたままになっている場合があります。

イエス様が救い主であり自分は贖われた者であると信じてはいても、日々の生活の中で、神の平安の代わりに心配事が思いを占めているなら、高き所は主のものとはなっていません。それは、みことばの約束よりも、自分の考えの方が高い状態です。

もし、恐れが思いを占めているなら、それは神の愛よりも、自分の考えが優先されている状態です。もし、怒りや赦せないという思いが占めているのであれば、それは神のみことばよりも、自分の感情が上にきている状態です。「イエス、我が主、我が王」と歌ってはいても、依然として、自分の人生の主人がイエス様ではなく、自分自身のままの状態です。

そのような私たちの状態を見る時、敵は笑って言うでしょう。「高き所はわれわれのものだ。」と。

私たちは、敵のものになっているその高き所を取り返さなければなりません。そのために戦わなければなりません。今日のみことばにあるように、私たちのために神様がおられるのではなく、私たちが「神のために存在しているのです。」その真理を自分のたましいに教えなければなりません。

私たちの教会では現在「内にある苦い根を取り除く祈り」に取り組んでいますが、これはまさに、座すべきでない者を心の王座から引きずり下ろし、座すべきお方を心の王座にお迎えする作業です。自分の人生の主権をイエス様に明け渡す作業です。

その高き所、心の王座に座している一番やっかいな自分自身を引きずりおろして、人生の主人としてイエス様をお迎えするのは、簡単なことではありません。一日にして成らずですが、毎日、御霊の助けによって、自分自身の古い性質、罪の性質、自己中心を十字架に釘付けにし、キリストのご性質に生きるよう努めるならば、ある日、気づくと周りの人々が私たちの生き方を見て、キリストを知るようになると信じます!

私たちは何故、日々、みことばを朗読し、イエス様の血潮の力を宣言し、御霊によって祈るのでしょうか?

みことばを読むことも、イエス様の血潮を宣言することも、御霊で祈ることも、目的を知らずにやるならば、宗教的な儀式になりかねません。それらすべては、私たちの罪の人格が死に、私たちの内にキリストのご人格が生きられることに繋がらなくてはなりません。

私たちは、自我に死に、キリストのご人格が生きるために、みことばを読み、血潮を宣言し、御霊によって祈ります。イエス様は言われました。

「自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マタイ16:24b)

古い性質の自分を架けるための十字架を負い、イエス様が生きられたように生きることは、自分の力では到底出来ないことでしょう。けれども、私たちには聖霊様が与えられていることが大きな希望であり、救いです。

■A:考えてみよう
初代教会の人々は、自分の満たしや楽しみのために聖霊様を求めることはしませんでした。彼らは、十字架の死と葬りと復活にあずかるために、聖霊様を求めました。なぜなら、古きに死にキリストに生きること、すなわち、自分の人生の主人がイエス様となることが福音に生きることであり、それは御霊の助けなしには出来ないことだからです。

あと数日で、ペンテコステを迎えますが、是非、心の王座をイエス様に明け渡し、自分の人生の主権をイエス様に明け渡し続けることができるよう御霊を求めていきましょう。

■P:祈り
聖霊様、あなたの油注ぎを求めます。私が自分の十字架を負い、イエス様が生きられたその道についていくことができるための油を注いでください。
自分の肉の性質は、十字架を背負うことを嫌がります。キリストの道をたどる代わりに、自分勝手な道を歩き、あらゆる領域において私の人生の主権を握っているのは、相も変わらずこの自分であることを認めます。思うようにいかない時も、苛立ちや不安を抱く時も、心が痛む時も、告白し、自分のたましいに言い聞かせます、私の主人は私ではなく、イエス様です。
聖霊様、今日も私に必要なのはあなたです。心の貧しさをもって身を低くし、御霊が注がれることを待ち望みます。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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