■S:今日の聖書の言葉
エゼキエル書29章6節、9節、16節、21節

★(6節)エジプトの住民はみな、わたしが主であることを知ろう。彼らが、イスラエルの家に対して、葦の杖にすぎなかったからだ。

(9節)エジプトの地は荒れ果てて廃墟となる。このとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。それは彼が、『川は私のもの。私がこれを造った』と言ったからだ。

(16節)イスラエルの家は、これに助けを求めるとき、咎を思い起こして、もう、これを頼みとしなくなる。このとき、彼らは、わたしが神、主であることを知ろう。」

(21節)その日、わたしはイスラエルの家のために、一つの角を生えさせ、彼らの間であなたに口を開かせる。このとき彼らは、わたしが主であることを知ろう。」

■O:今日のコラム
皆さんは、イエス様を自分の主として信じているでしょうか?
このマナメールを受け取っておられる皆様にとってはこの質問は愚問に思えるかもしれません。
しかし、あえて質問します。皆さんは、イエス様を自分の主として信じていますか?

「主従の関係」ということばがある通り、主が私たちの主人であるならば、私たちは主に従うことが絶対条件です。
ところが、私たちはみことばを都合の良いところだけは受け入れ、自分に都合の悪いところは様々な理由をつけて退けてしまうことがあります。

そのようなことをする代表選手が、聖書ではエジプトとして書かれています。
エジプトのヘブライ語はミツライムと良い、「狭いところ」などという意味があります。
なぜ、広大な土地を所有しているはずのエジプトが狭いところなのでしょうか。
それは、イスラエルの民が奴隷として縛られていた、霊的に狭いところであるという意味があります。

主はエゼキエルを通して、エジプトにさばきを宣告されます。しかし、今日のみことばを見たとき、それは「裁き=滅ぼす」ということではなく、「誰が主人か」をはっきりさせることであることがわかります。

6節では、かつて強大な力を持っていたはずのエジプトがイスラエルにとっては葦の杖、つまり何の役にも立たないということで、経済も権力も教育も主人ではなく、神が主であることを悟らせます。

9節では、神様が創造されたはずの川を「私のものだ。私がこれを造った」と言って自分のものとしてしまった高ぶりに対して、その地が荒れ果てて廃墟となってしまうことが語られています。このことを通しても、すべてが取られて、最後に残るのは主のみであることを知ることができます。

16節では、再びエジプトが再建され、イスラエルがそれに頼ろうとしますが、咎を思い出して頼みとしなくなると書かれています。
まるで、悔い改めても、悔い改めても私たちの思いの中によみがえる罪の性質のようです。
このことを通しても、神が主であることを知ることができます。

そして21節では、一つの角を生えさせ、彼らの間で口を開かせるとあります。
角は力を象徴します。つまり、別の力あるものを起こして、捕囚の中から主のことばを叫び続けたエゼキエルの預言が正しかったということを知るようになるということです。
このことを通しても神が主であるということを知るようになります。

私たちは人生を通して、「誰が主人であるか」を知っていく必要があります。
もしいつまでも自分が主人として居続けるなら、神様は様々な方法を用いて「あなたの主人はわたしだ」というメッセージを送ってくださるでしょう。
そのことに気づき、「そうだ。私の主人はイエス様だ」と理解し、悟り、自分の考え方と歩みを変えることに取り組み始めるなら、私たちは神からの祝福を受け取ることができるでしょう。
しかし、依然として自分が主人となり、考え方、生き方を変えようとしないものには時には優しさを持って、時には痛みを通して誰が主人であるかを教えようとされるでしょう。

これはイエス様を信じていない方々ではなく、イエス様を信じている私たちに対する神様からのメッセージであると信じます。

■A:考えてみよう
あなたの本当の主人は誰ですか?
お金も、経験も、教育も、仕事も、ミニストリーも、自分自身であっても、神以外のものはすべて私たちの主人になりえます。
「私はイエス様を信じている」といいながらも、案外私たちはすべてを神様に依り頼むということができていないことが多いのではないでしょうか。

小さな子どもが「大丈夫!自分でできる!」と言って何かを行うのは、大人からすれば成長を感じる嬉しい場面であると同時に、「いや、大丈夫じゃないでしょ!」と思うこともあるでしょう。
神様も私たちをそのようにご覧になっているかもしれません。

今日、自分の主人は誰(何)かを真剣に考え、すべてを神様に捧げ、この御方だけを信頼して行きていく決心をしましょう。

「あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となったのです。」
(ローマ6:16-18)

「しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。」(ローマ6:22)

■P:祈り
私たちを愛してくださる天のお父さん、心から感謝します。
私たちは主によって愛のうちに創造されました。詩篇100編3節においても「知れ、主こそ神。主が私たちを造られた。」とあります。
今日、今一度、私の主人は誰であるかを明らかにしてください。
もし、私が神様以外に頼っている何かがあるのであれば、それが私の主人となっているということを教えて下さい。
意識できている部分だけでなく、無意識で神様を求めないで生活している部分があるなら、今日、それも明らかにして、すべてを主に委ねる生き方をさせてください。
私のまことの主人であるイエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【しゅん】

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