■S:今日の聖書の言葉
マタイによる福音書27章38節

★そのとき、イエスといっしょに、ふたりの強盗が、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。

■O:今日のコラム
イエス様が十字架にかかられた時、イエス様を真ん中に、左右に犯罪人がかけられました。群衆はみんな、十字架についているイエス様を見てあざけり、バカにし、笑っています。ローマ兵たちは人が今苦しんで死にかけているのに、その真下でくじを引いてイエス様の着物を取り合っていました。

ルカの福音書では、この場面でイエス様が言われたことが書かれています。

「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。』彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。」(ルカ23:34)

まさにイエス様が言われたように、彼らは自分が何をしているのか分からない状態です。これは、イエス様を信じて受け入れる前の状態と同じです。私たちは、イエス様がどのようなお方で、どこから遣わされたお方であるかを知る必要があります。そして、この救いに預かるためには、まず自分はどのような者なのかということを知る必要があります。

イエス様は罪無き神の御子で、自分は罪ある人間。神様からやがて裁かれなければならない、滅びに向かっている罪人なんだということを知るということです。ここに出て来る人たちみんなに共通して言えることは、自分の本当の姿を知らないまま、気付かないまま生きているということです。

一人の犯罪人は、自分が犯罪を犯して罰を受けているのだから文句を言えないはずなのに、「お前が神の子なら俺たちも救ってみろ!」とイエス様をあざけります。この犯罪人は自分が罪人であるということが分かっていません。しかし、もう一方の犯罪人は、「この方はご自分で犯した罪、持っている罪で十字架にかけられているのではない」ということに気付きました。私のために苦しまれ、全人類の罪を背負って、今この方は死のうとしている。イエス様は救い主である。ということに彼は気づいたんです。その彼が、人生最後の瞬間に死刑にされるためのその十字架で初めてイエス様に出会って、初めてみ言葉を聞いて、初めてキリストを信じました。

イエス様は、神殿にだけ、教会にだけ、あるいは信徒たちの中にだけおられるのではありません。牢屋の中にでもイエス様はいてくださるお方です。私たちの家庭の中に、仕事場の中に、学校の中に、イエス様はいてくださいます。聖書は、一人の犯罪人を通してそのことを教えています。その犯罪人は十字架の上でイエスキリストに出会ったんです。

イエス様は、何の取り柄もない私たちのことを十字架の血潮によって聖め、赦してくださり、神の子へと造り変えてくださるお方です。このお方を救い主として信じ、告白する時、私たちは変えられます。

私たちが変わるとともに、環境の中にも変化がもたらされます。全ての問題、私たちの全ての歩みの中にイエス様が共にいてくださって、関与してくださり、全てを良いものへとつくり変えてくださいます。今ある問題がイエス様によって解決されていきます。全ての心配はイエス様によって喜びへと変えられていきます。そのことを信じましょう。

■A:考えてみよう
私たちは、どちらの犯罪人のようになる必要があるでしょうか。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 てる 】

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