■S:今日の聖書の言葉
マタイによる福音書25章21節

★その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

■O:今日のコラム
今日の箇所は、私たちが主から言われる最も素晴らしい報いの言葉です。いつの日か、天の御国に行った時「よくやった。良い忠実なしもべだ」と、私は言われたいです。

「忠実な」は、別訳で「信頼できる」という意味があります。「信頼」というのは、1日にして得られるものではありません。信頼を失うのは簡単なのですが、信頼を得るには時間がかかることを覚えます。私たちと主との関係にも、時間が必要です。この地上での歩みは、主との信頼関係を築く時間だからです。

今日の箇所を見ると、主人が帰って来るまでには、長い時間がかかったことがわかります。

「さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。」(マタイ25:19)

この箇所を読む時、主人が帰って来るまでの長い時間を、しもべたちはどのような心で、どのように待っていたのだろうかと思わされます。5タラント、2タラント預かったしもべたちの様子は書かれていませんが、結果として、それぞれが、商売をして、さらに5タラント、2タラントをもうけました。

私は商売をしたことはありませんが、商売に限らず、人生は、必ずしも良い時だけではないと思います。5タラント、2タラントを預かったしもべたちも、この長い間の中には、良い時だけでなく、悪い時もあったのではないでしょうか。商売が上手くいったこともあれば、失敗もあったと思います。しかし、大事なのは、主人が帰って来る時まで、任されたものを忠実にやるということです。

主人は、しもべたちがもうけたことを喜んだのでしょうか。もちろん、それも喜んでくれたでしょう。でも、私は、もうけたこと以上に、しもべたちがどのように主人の帰りを待ち、主人の心を忠実に行ってその時間を過ごしていたかを、主人が喜んでいるように感じます。

しかし、1タラントを預かったしもべは、任されたタラントを地の中に隠していました。なぜなら、主人のことをこのように見ていたからです。

「ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』」(マタイ25:24~25)

主人は、本当にそのような方だったのでしょうか。そしたら、そもそも、自分の財産を預けるということ自体しないでしょう。同じようなたとえが、ルカの福音書にあります。そこで、1ミナを預かったしもべも、同じように自分の主人を見ていました(ルカ19:20~24参照)。

そこで、主人はこう言います。

「主人はそのしもべに言った。『悪いしもべだ。私はあなたのことばによって、あなたをさばこう。あなたは、私が預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈り取るきびしい人間だと知っていた、というのか。」(ルカ19:22)

主人が怒ったのは、任されたタラントがそのままだったから、ではありません。このしもべの心の態度、主人はこういう方なんだと決めつけて、預けられたタラントを用いなかったからです。「私はあなたのことばによって、あなたをさばこう。」とあるように、しもべは自分自身のことばによって、さばかれました。

私たちは、主をどのようなお方だと考え、どのようなお方だと告白しているでしょうか。私たちには、たくさんのタラントが与えられています。それなのに、否定的な思いや失敗に対する恐れ、不安を持っていないでしょうか。何かする前に、こうなるから、と決めつけてはいないでしょうか。

私たちは、いくらでも否定的な思いを持つことが出来ます。私自身も、今まで以上に、自分の思いや考えが取り扱われています。人は、良いことが10あったとしても、悪いことが1つでもあるとそれに目を留めてしまいやすいのです。主に対してだけではなく、人に対しても、状況や物事に対しても。

しかし、御言葉にはこのようにあります。

「神は正しい方であって、あなたがたの行いを忘れず、」(ヘブル6:10a)

また続く箇所にはこうあります。

「そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。それは、あなたがたがなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。」(ヘブル6:11〜12)

私たちの主人であるイエス様は、再びこの地に戻って来られます。その時がいつなのかは、誰にもわかりません。それまでの間、この地上での歩みでは、様々なことがたくさんあるでしょう。しかし、今日という日を、1タラント預かったしもべのように恐れや、否定的な思いで過ごすのではなく、主が良いお方で、必ず報いて下さるお方であることを信じ、信仰による告白しながら、忍耐することを選び取っていきたいと願います。

人の目につかない小さなことでさえ、私たちがこの地上でしたすべての働きには、報いがあります。それぞれに任されたタラントが違います。ですが、いつの日か、天の御国に行った時、主から「よくやった。良い忠実なしもべだ。」と言われる日を、共に心待ちにし、今日1日を過ごしていきましょう。

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」(ヘブル11:6)

■A:考えてみよう
・主をどのような方だと考えているだろうか。どのような方だと告白しているだろうか。御言葉の中にある主のご性質を、告白し、思い巡らし、感謝を捧げていきましょう。

・主が再び戻って来られるまでに、与えられているこの時間、私たちの心、思いが、否定的になることなく、むしろ、喜び、期待に満ち溢れて、任されていることを忠実に行っていくことが出来ますように。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ささまな 】

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