■S:今日の聖書の言葉
マタイによる福音書26章26~28節

★また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。

■O:今日のコラム
これは最後の晩餐のシーンです。ここで主は新しい契約を結ばれました。この契約は聖餐式で表現されています。第一コリントを見ると、これはイエス様の十字架、死と葬りと復活を覚えて行うものであることが分かります。(1コリ11:24~26)

私たちは、いつも新鮮にイエス様の十字架の啓示、そこから流れてくる愛と恵みと赦しが必要です。それがあってこそ、他の人を赦すことができます。

1万タラント(約6000億円)の借金をゆるされたしもべは、出て行って100デナリ(約100万円)の貸しのある仲間を牢獄に閉じ込めてしまいます。

確かに100万円は、貸したきり返って来なければ腹立たしく思うには十分な額であると思います。しかし6000億という天文学的な借金を免除してくださった恵みを新鮮に味わっているなら、とても100万円返さないことを責められないと思います。私たちが人のした悪を握り続けてしまうなら、100デナリがゆるせないしもべと同じです。私たちも自分では到底返せない借金(罪)を赦されているのですから。

仲間を牢獄に入れたしもべが出て行ったのは、「外」というより「赦しの恵みを受ける場」から出て行ったのです。それは十字架につけられたイエス様の御前のことです。

私たちは毎日毎日、十字架につけられたイエス・キリストの御前に出て行く必要があります。愛されている恵み、赦されている恵みが必要でない日はないからです。

イエス様の十字架は、栄光の十字架です。私たちは見つめている物に似ていく性質を持っています。栄光の十字架を見つめるなら、私たちもこの地上で十字架をあらわす者、人のした悪を思わず、怒らず愛する者、栄光をあらわす者に変えられていくのです。

■A:考えてみよう
今日も新鮮な恵みを受け取るために、十字架の前に出て行きましょう。

■P:祈り
神を知るための知恵と啓示の御霊をお与えください。十字架につけられたイエス様をお示しください。今日も新しい恵みが必要です。十字架のみわざを褒め称えます。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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