■S:今日の聖書の言葉
マタイによる福音書21章12~13節

★それから、イエスは宮に入って、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」

■O:今日のコラム
今日の箇所は、イエス様が宮きよめを行う場面です。イエス様がイスラエルの王としてエルサレムに入城してからすぐにしたことは宮をきよめることでした。

当時、神殿の中で数多くの不正が行われていました。神様に仕えるはずの祭司たちが堕落し、金儲けの為に神殿を利用していたのです。イエス様は数多くの不正を叱責し、商売の道具を倒されました。この事がきっかけで、祭司長、律法学者たちはさらにイエス様に対して腹を立てるのでした。

新約の時代に生きる私たちクリスチャンは神殿であると聖書は語っています。

「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」(1コリント3:16)

イエス様を信じるクリスチャンの内には聖霊様が住んでおられます。罪を犯すならば、聖霊様を悲しませることになります。神様に喜ばれない強盗の巣が心の内側にあるならば、宮をきよめる作業が必要になります。それがすなわち悔い改めです。

普段は優しいイエス様が、宮をきよめるときには一切妥協せずに、行動をもって力の限り強盗の巣を取り除いていきました。このように悔い改めは罪に対して妥協することなく力の限り取り組む必要があるのです。聖霊様は御言葉を通して私たちの心を突き刺し、自分が犯している罪を示してくれます。そして、私たちを悔い改めへと導いてくださるのです。

私たちの心は部屋のようなものです。誰でも部屋を掃除しないと、どんどんゴミが溜まっていきます。毎日掃除をするならば絶えず綺麗な状態が保たれます。悔い改めも同じです。一度悔い改めたからと言って、罪のない状態が継続する訳ではありません。放っておくと、罪はどんどん心の奥から湧き出てくるのです。ですから、毎日「悔い改め」という宮をきよめる作業が必要になってくるのです。

もし、私たちクリスチャンが日々の生活の中で悔い改めをせずに信仰生活を歩んでいったらどうなるのでしょうか?上辺の姿はどんなに立派に見えても、心の中は強盗の巣で一杯になってしまうのです。まさに、この状態が神様が最も忌み嫌う偽善の状態なのです。実は、私は長年このような状態に陥っていました。

クリスチャンホームで生まれ育った私は、自分はそこまで悔い改める必要が無いと思っていました。本当は全然大丈夫ではないのにも関わらず、自分は大丈夫であると思い込んでいたのです。これこそが高ぶりの罪であり、イエス様を十字架に架ける程恐ろしい罪だったのです。自分は大丈夫ということは、裏を返せば、自分はイエス様の十字架はそれほど必要としていないと言っているのと同じ事なのです。

高ぶりの罪はなかなか自分自身では気づくのが難しい罪です。自分で認識する事が出来ないので高ぶりの罪を犯してしまうのです。律法学者やパリサイ人はまさにそのような罪に陥っていたのでした。ですから、私たちは祈りの中で聖霊様に罪を教えて下さいと願い求めましょう。

罪を犯していても気づくことができないのは一番哀れな状態です。御言葉を通して聖霊様によって罪を教えていただき、熱心に悔い改めに導かれていきましょう。悔い改めがゴールではありません。悔い改めを通してさらに深い神様との関係に入っていき、私たちを通して神の御国がこの地に大胆に解き放たれていくのが目的です。

全てはイエス様の十字架によって、その流された血潮によって罪の赦しがなされるのです。イエス様の十字架の愛が土台です。今日も一日、皆様の上にイエス様の豊かな恵みがありますように。

■A:考えてみよう
私たちは神の神殿です。聖霊様を悲しませていることはないでしょうか?今一度自分の心を吟味してみましょう。

■P:祈り

愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あきひろ 】

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